栃木市旭町、本町 本橋

2683年 5月 9日 探訪

 此方は 【栃木市旭町 一二三橋】 依り六十米程杢冷川を上つた所に架る橋であります。

 おゝ、之は丸で 【栃木市境町 境橋】【栃木市境町-富士見町、片柳町 富士見橋】 の樣な見事な戰前橋では御坐いませんか。

 とは云へ、銘板に何と無くの違和感を感じますので、其實如何でせうか。

 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。

 因に、下流側が旭町、上流側が本町であります。
 もとはし。

 丸でホトシヨツプの效果を使つた樣な綺麗な色合の變化に惚れ惚れ致します。
 もくれいかわ。

 嗚呼、字體も然る事乍、假名遣ひで戰後の銘板だと分つて仕舞ます。
 高欄は交差模樣の意匠であります。

 では右岸側へ移動致します。
 本橋。

 基本的に地區名由來なのでせうが、地區名は本町「ホンチヤウ」でありますので、音的に「モトハシ」と讀んだ方が讀易いとかで「モトハシ」なのでせうか。
 杢冷川。

 併し如何にも栃木市の戰前橋らしい親柱であります。
 右岸側からは見辛かつたので左岸側から見ましたが、 【栃木市湊町 會橋】 の樣に人目に附部分は拱橋の樣に成つて居りますが、基本的には混凝土T字、所謂RCT桁でありました。

 扠、竣功年でありますが、栃木市橋梁點檢結果を見ました處、何と大正七年でありました。
と云ふ事は、本格的に混凝土の永久橋が作られる樣に成つた初期の頃の物と云ふ事に成りますし、 【日光市細尾町 日光發電所橋】 依りも古く、一般的な道路橋としましては、今は無い 【鹽谷町船生 白石橋】 依りも古いと云ふ事に驚きました。

 唯まあ、正直本當かな、若かして昭和三年の間違ひでは無いのかな共思ひますが、まあ其處は浪漫と云ふ事で深くは考へ無い樣に致します。

 だから風化して文字が讀無く成つたので、新しい銘板が附たのでは無いか共想像出來ますし。

 何れにしましても、素敵な戰前橋が見られて手荒く滿足でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

戻る