2683年 2月 28日 探訪
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此方は
【栃木市河合町、境町 片柳橋】
依り百米強程沼和田用水を上つた所、
【栃木市室町-境町 相生橋】
から五十米程南下した所に架る橋であります。 もうぱつと見で先づ間違無く戰前橋と思はれる姿でありますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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笠石部分の丁寧な裝飾、且つ相生橋に共通する樣な混凝土其物と云ふ感じの銘板であります。 |
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昭和四年一月竣功。 "月"の部分が一寸讀辛かつたでありますが、何とか讀めました。 併し相生橋依り五年も古いとは恐入ました。 |
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さかいばし。 此方は新しい銘板が附られて居りました。 何時頃の物なのでせう、若かして觀光に力を入てからの物でせうか。 |
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高欄は一枚の混凝土板状態なのでありますが、工夫を凝した意匠であります。 では右岸側へ移動致します。 |
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境橋。 元の大きさにぴつたりと合はせて作られて居りますね、新しい銘板。 |
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此方は無記名、と云ひますか、南下雰圍氣が一寸違ふ感じが致しますし、昭和四年で斯樣に凝つた事はし無いと思ひますので、 多分後年に成り自動車通行の圓滑化を圖り斯樣に擴幅されたのだと思はれます。 |
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基本的には混凝土T字桁であります。 擴幅部分、親柱は桁の一部と云ふ扱ひでありますね。 |
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上流側から見るのが原型側でありますね。 して、航空冩眞を見ました處、昭和五五年以降六一年迄に擴幅された樣であります。 昭和五六、七年の冩眞では鮮明に見え無かつたので、も少し年代を絞る事が出來ませんでしたが、まあ昭和五十年代後半に麹が行はれ、可也原型に忠實に擴幅されたと云ふ事の樣であります。 之で銘板も全て當時物でありましたら手荒く素晴しかつたのでありますが、其でも良い戰前物が見られたと云ふ事で、手荒く滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |