小山市生駒 生駒橋

2683年 1月 31日 探訪

 此方は 【小山市下河原田 本郷橋】 依り巴波川を六百米程上つた所に架る、栃木縣道卅六號線、國道五十號舊道の橋であります。

 まあ一見して舊來からの橋を擴幅したと分る橋でありますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。
 昭和44年3月。

 意外と趣の有る意匠の親柱に、黒御影石の銘板が附て居ります。

 でありますが、最初見た時は竣功年を疑ひました。
此方、國道五十號として開通したのは昭和卅六年でありますのに其は無いだらうと思つたからでありますが、考へて見れば、擴幅に成つたのが其年だと思へば辻褄が合ひますね。呵呵
 して、元からの親柱などの痕跡は御坐いませんでした。
 いこまばし。

 銘板の盜難防止には石の方が良さゝうであります。
 此方も親柱などの痕跡は御坐いませんでした。
 【益子町塙-益子 塙橋】 で見た樣な擴幅具合であります。
 橋脚を見ますと、矢張繼足されて居りました。

 では右岸側へ移動致します。
 生駒橋。

 橋名は地區名からでありますね。
 達筆な字體から、之は多分發注者首長の筆跡でせうか。
 巴波川。

 良い味出て居ります。
 横から見ますと、擴幅部分は牀晩桁、所謂スラブ形式でありました。

 多分元からの形式はRCTでせう。
 ほら、矢張さうであります。

 いやあ、何か 【芳賀町上延生-祖母井 五行橋】 を彷彿とさせて呉れますね。
 形式の違ひからか、スラブ部分の梁部が良い感じで落橋防止に成つてゐる樣であります。

 嗚呼、元からの部分の型枠跡が素敵であります。
 主桁は三本でありますね。
其と、横桁もちやんと入つて居りました。

 扠、元からの部分の竣功年でありますが、昭和十年と云ふ説と昭和卅六年と云ふ説が出て來ました。
其處で推察でありますが、其々戰前橋の 【小山市下河原田 螢橋】【小山市下河原田 本郷橋】 も五徑間でありますし、昭和卅年代ならRCTでもゝ少し一徑間を長く飛ばせると思ひます。
其に昭和廿二年と卅六年の航空冩眞を見比べますと、後者の場合橋の兩端で道路の幅員が狹く成つて居りますので、昭和十年竣功で正解かと思ひました。

 橋臺の梁部が當時の儘でありましたらも少し判斷材料には成つたのでありますが、當然の如く補強されてゐたので分りませんでした。

 まあ、拙も徑間の短さから基本戰前物だらうなと思ひましたので、現役の戰前物件が見られて手荒く滿足でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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