2676年 12月 13日 探訪
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此方は
【芳賀町祖母井 穴川橋】
の五十米程南側、と云ひますか、道の驛はがと其に併設されてゐる温泉施設の近く、五行川に架る町道の橋であります。 まあぱつと見には 【芳賀町與能-東高橋 五行橋】 同樣バブルの香りが手荒く致しますが、其實如何なのでせうか。 と書いた處で、實際には此川幅で三徑間でありましたので、見た目とは裏腹に實は結構古物件かも知れ無いと思つての再訪と相成つた譯でありますが、 不取敢此方右岸側から見て行きませう。 |
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五行橋。 前出の國道一二三號の物同樣の親柱である事から、同時期に改修された物だらうと思はれます。 して、元からの親柱の痕跡が分るか如何かと見たのでありますが、痕跡は分りませんでした。 |
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五行川。 此方も同樣であります。 唯、後述致しますが元々は車道側の地覆附近に親柱が在つたであらうと思つてゐたのでありますが、元々はもつと内側、 上流側から一車線半程度の邊に在つた樣であります。 |
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して、此方人道橋の部分の鈑橋は昭和五一年竣功でありました。 最初の探訪の時に三徑間と云ふ點で怪しいと思つてゐれば、二度手間に不成に濟んだのでありますがね。 |
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此歪に繼足された橋脚が何共素敵であります。 て、おや、人道橋部分が附足されただけでは無く車道側も一度擴幅されてゐるのでせうか。 |
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成程、所謂牀版橋と云ふ形式なのでせうが、手前部分だけ良く見ると厚みが違ひますね。 之は如何見ても擴幅されたと云ふ證でありますね。 |
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して、上流側から見れば元からの橋脚の姿が分ると云ふ事でありますか。 て、否々、もう一本の橋脚の姿が違ふのもアレでありますが、殘り二徑間、如何見てもT字桁では御坐いませんか。 之は色々と色々有りさうでありますよ。 |
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と云ふ事で中央、左岸側の桁を覗く樣に見てみましたが、嗚呼、之は色々と樂しめさうであります。 ぱつと見てT字桁、牀版橋、鈑橋と、丸で桁の展示會の樣に竝んで居りますよ。 では左岸側へ移動致します。 |
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ごぎようはし。 はい、親柱も痕跡も何も御坐いません。 と云ひますか、撮る場所間違つてゐると云ふのは内緒であります。 |
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ごぎようがわ。 現在の親柱の手前側、何と無く元の親柱の痕跡の樣に見え無くも無いと云ふ感じでありますが、判斷に惱む處であります。 |
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地覆部分は改修されて居りますが、美しいT字桁であります。 橋脚も此方側は後年に成つてから新造されてゐると云つた感じであります。 |
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左岸側橋臺部分であります。 此形状から、多分でありますが戰前物件的な雰圍氣も釀し出して居りますので、若かしますと橋臺は古くからの物を流用して、 昭和廿年代後半から卅年代に掛ての頃に架けられてゐる橋なのでは無いでせうか。 |
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主桁の木枠の跡等からも、さう云ふ時期の物件だらうと云ふ氣が致します。 嗚呼、併し美しい。 |
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橋脚を見ますと、擴幅された牀版橋の部分迄一體に造られてゐる樣でありますから、此方の橋脚は後年に新造された物で間違無いと思はれます。 |
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其に對して橋臺側の忙しい事。呵呵 |
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扨、では竣功年でありますが、之が"多分さうだらう"と云ふ資料に不當、頼りの航空冩眞でも大凡の目安も附か無いのでありますが、
其でも多分昭和卅六年の頃には現存するT字桁部分が出來てゐたのでは無いかなと云ふ感じに捉へられます。 して、昭和五十年迄には牀版橋の部分迄の擴幅が濟んでゐると云つて感じに見受られました。 併しまあ、何氣に通つてゐるだけでは分ら無い、改修や修復の歴史を不斷に持つてゐる此方、實に良い歴史的資料なのでは無いでせうか。 如何か此儘末永く維持管理して戴き度い橋だなと思ひました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |