栃木市泉町、嘉右衞門町-錦町 嘉右衞門橋

2683年 2月 14日 探訪

 此方は 【栃木市萬町、泉町-錦町 泉橋】 依り巴波川を二百五十米程上つた所に架る橋であります。

 ぱつと見に 【栃木市室町-境町、河合町 關門橋】【栃木市萬町-入舟町 常盤橋】 と似た雰圍氣から矢張戰前橋と思はれますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。
 花崗岩を積上て作られたであらう親柱に、 【栃木市室町-境町 相生橋】 と同樣の街燈が載つて居ります。
 巴波川。

 如何見ても銘板は元からの物では無く、常盤橋と同時期であらう物が附て居ります。
 街燈だけ綺麗な儘でありますが、全體的に良く熟成された雰圍氣に成つて居ります。
 嘉右衛門橋。

 "衞"が新字體でありますから戰後の銘板なのは確定であります。

 因に橋名でありますが、天正年間に此地を岡田嘉右衞門と云ふ人が開拓したさうでありまして、其嘉右衞門邸が近くに御坐いますので、其での命名かと思はれます。
 高欄は 【栃木市室町、倭町-湊町 巴波川橋】 とほゞ同樣の意匠であります。

 では右岸側へ移動いします。
 斯うして見ますと、可也竣功當時の雰圍氣が樂しめます。
 うずまかわ。

 親柱の意匠が其々の橋で少しづゝ違ふのが特徴であります。

 「がわ」の方が日本語(ニホンゴ)としては自然な發音で良いと思ふのでありますが、ねえ。
 此方嘉右衞門橋の親柱、若かしますと意匠的に元々は街燈が載つてゐ無かつたのかも知れません。
 かうえもんはし。

 元の銘板は矢張物資供出で消失してゐるのでは無いでせうか。
 横から見ますと、二徑間の鈑橋でありました。

 が、竣功年を調べて居りました處、一寸アレな事が出て來ました。
先づ竣功年は栃木市橋梁點檢結果でもFR09:川を渡る橋・栃木縣と云ふ資料でも昭和二年であります。
でありますが、點檢結果では鋼橋、之は見た儘さうだと確認出來ますが、川を渡る橋ではRC橋と成つてゐるのであります。

 して、冩眞を良く見ますと、一見石造の橋臺に見えますが、其は親柱の部分だけでありまして、桁が載る部分は混凝土製であります。
其に橋脚、之は如何見ても戰前物と云ふ依り昭和卅年代前後のパイル形式の物に見えますし、鈑桁にしましても一寸當時物には見えませんので、多分途中、 昭和卅年代か其以降に大規模な補修と云ひますか改修が行はれて、現在の姿に成つてゐるのでは無いでせうか。
さう、常盤橋の樣に。

 まあ本當の處は拙には分りませんが、興味深い物が見られて手荒く滿足でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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