2680年 3月 24日 探訪
![]() |
此方は
【上三川町東汗-眞岡市勝瓜 宮岡橋】
依り四キロ半程鬼怒川を下つた處に架る、栃木縣道四七號線の橋であります。 上下線が別々に成つて居り此方は下線專用と成つてゐるのでありますが、さう云ふ點と見た目からも如何にも結構な歴史的物件と云ふ感じでありますが、 其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
![]() |
其前に、上の冩眞を撮つた場所から左を向きますと、鬼怒大橋架設記念碑が御坐いました。 要約致しますと、昭和廿五年から建設が始り、昭和廿九年に完成し度と云ふ事でありますね。 まあ、戰前から宇都宮近邊で鬼怒川を渡河しようと致しますと、立派な橋は國鐵東北本線沿の鬼怒川橋か、其處から八キロ程下流の 【宇都宮市石井町 鬼怒橋】 程度しか無かつたのでせうから、戰後復興の大事業、悲願達成的な意味合ひも強かつたのでは無いのかなと思つて仕舞ます。 同樣に、其後に架橋された 【氏家町向河原-上河内村下小倉 氏家大橋】 にも記念碑が御坐いますしね。 まあ正直、此方長文だなと思つて讀んでゐ無いのは内緒であります。 |
![]() |
鬼怒大橋。 如何にも長い橋と云ふ意匠な上に、手荒く立派な花崗岩で出來た親柱であります。 又、餘華美に不成と云ふ感じでありますから、古さを感じさせ無い意匠だなと思ひました。 |
![]() |
鬼怒川。 銘板は流石に數世代前のだなと云ふ印象であります。 して、其々に違ふ字體に成つてゐれば發注者首長の直筆だらうなと思つたのでありますが、橋名の方と「鬼怒」の字體が同一でありますので工業的字體と分つたのでありますが、 是は是で中々に素敵であります。 |
![]() |
伸縮裝置は一部改修されて居ります。 |
![]() |
扨、架橋當時は北關東一の長大橋と云はれてゐた橋でありますから、左岸側へ行く前に下からも見て措きませう。 右岸側からは十一連の下路曲弦ワアレントラスで、左岸側の一部が五連RCゲルバア桁の混合橋ださうでありますが、まあ其も良く在る手法でありますね。 同時期の物でありますと、形式は違ひますが 【鹽谷町佐貫 觀音橋】 も其な感じでありましたし。 併し、橋脚の基礎の部分、本流の邊では隨分と露出して居りますが、結構洗掘されてゐるのでせうか。 トラス同士はピン結合されて居りますが、多分後年に成つてからの落橋防止の措置だと思はれます。 |
![]() |
桁と牀版と橋臺。 |
![]() |
後年に成り附られた落橋防止裝置で凄い事に成つてゐる橋臺と支承廻り。 あ、親柱後側に橋歴板が在りますね。 |
![]() |
昭和25年5月着工 昭和29年9月竣工。 嗚呼、所々に入る正字體が素晴しいであります。 此年代では未だ正式な字體は正字體だつたと云ふ事なのでありますかね。 まあ、今でも正式書類は正字體が本當なのでせうが。 では左岸側へ移動致します。 |
![]() |
おや、何か派手に壞れて混凝土で補修され度樣な感じでありますが、銘板は無事なのでせうか。 |
![]() |
何と云ふ事でせう、殘念乍銘板は消失した樣であります。 多分、平假名で「きぬおおはし」若くは「きぬおゝはし」と成つてゐたのでは無いでせうか。 |
![]() |
きぬがわ。 此方側も此方側で、如何見ても新しい花崗岩で作り直されて居りますね。 而も銘板は當時物の儘の樣でありますので、或る意味竣功當時の姿が蘇つてゐる感じであります。 |
![]() |
ゲルバア桁の方は良く見えませんでしたので、現地では普通のRCTかと思つて居りました。 嗚呼、地覆が改修されて居りますね。 さうしてガアドレイル高欄に交換されてゐる樣であります。 |
![]() |
橋長約七一五米を繼目無しで一氣に繋ぐガアドレイル高欄、是も是は是で或る意味凄いと思ひます。 元々は如何云つた高欄だつたのでせう。 まあ多分に上記の觀音橋の樣だつたのでは無からうかと推察致しますが。 |
![]() |
因に、此方がゲルバア側の排水桝であります。 |
![]() |
して、此方がトラス側の排水桝であります。 多分、何方も竣功當初からの物でせう。 |
![]() |
塗裝後では隨分と印象が變はります。 |
![]() |
トラスらしい鋲の打方や補剛の入り方であります。 |
![]() |
拙的には塗裝前の雰圍氣の方が好きであります。 |
![]() |
今は新造される橋では餘見掛無いトラス構造でありますが、戰前戰後を通じ、橋長を稼ぐには手取早い方法だつたのかも知れません。 其が鋼製連續桁に取つて代はられ、今ではPC桁が其主流に成つたと云つた處なのでせうか。 素人なので適當な事を書きますが。呵呵 まあ、地域住民の方々の想ひが叶つた成果、ずつと末永く維持されて行く事を願ふ許であります。 因に、一枚目の冩眞で御分りに成ると思ひますが、右側の端柱の半ば邊に何か銘板も樣な物が見えますが、今に成つて氣附きまして、 すつかり冩眞に收めるのを忘れてゐた次第であります。 まあ、機會を見附て撮り度いと思つて居ります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |