宇都宮市石井町 鬼怒橋

2674年 3月 3日 探訪

 此方は鬼怒川に架る國道一二三號、水戸北街道の橋であります。

 平成廿二年度選奬土木遺産に指定されました手荒く有名物件でありますので、色々な方が詳しく書かれて居られます。
でありますので拙が今更乍に取上るのも何ですが、水戸北街道の道筋を辿つて居りますので、僭越乍取上ると云ふ次第であります。

 扨、もう見るからに橋だと實感出來るのが、拙としましては此トラス橋であります。
所謂鐡橋が之、でありますよね。
多分。

 と云ひますか、今時の子供つて童謠等で鐡橋と歌つてゐても意味、分つてゐるのでせうか。呵呵

 では此方、右岸側から見て行きます。
 きぬばし。

 見るからに立派な親柱であります。

 之だけの花崗岩を使用しての親柱、手荒く御金掛かつてゐるなと思ふのでありますが、其處は其街道筋、 而も之だけの立派さで鬼怒川を渡るのでありますから當然と云へば當然でありますね。

 でも銘板は後年に成つて附換へられた物でありますね、之。

 「きぬはし」と改名され無くて何依でありました。
 きぬがわ。

 ほら、もうがつかりでありますよ。
如何せなので書いて仕舞ますが、此橋の竣功當時で此假名遣ひは無いでありますもの。
戰前、と云ふか正假名なら「かわ」では無く「かは」でありますし。

 良く見れば銘板と云ふか土臺と云ひますか、其部分を削取つた跡が分ります。

 物資供出でアレだつたのでありましたらアレなのでありますが、ね。
 昭和六年の工事銘板でありますよ。

 さう、親柱の直傍に附てゐる銘板を見ますと之でありますもの。

 昭和一桁のトラス、もう之だけで大滿足であります。
いやあ、凄いなあ。
感慨も一入と云ひますか、良くぞまあ殘つてゐて呉れたと云ふ感じであります。

 併し昭和六年でありますかあ。
拙、十歳の頃でありますね。
 さうして横には「SLAR 12". X 2"94」の刻印が有ります。

 多分、何かの規格を表してゐるのだと思ひますが、其が何なのかは拙には分りません。
 併し素敵であります、十五連の曲弦プラツトトラス橋。

 今に成つて思へば、後附の歩道橋部分が無い下流側から寫眞を撮つた方が良かつたなあ、と思ひました。
然すれば當時の姿に近かつたでありますものね。

 まあ其でも十分に雰圍氣は傳はりますかね。
 して、見所は橋だけでは無く、手前の部分でも車止と云ひますか縁石と云ひますか、塊團状の物が殘つてゐるのが嬉しい處であります。

 之つてガアドレイル以前の物、でありますものね。

 其と、自動車の轉落防止と云ふか脱輪防止の爲でせうか、曲角の部分つて後から土盛りされてゐるのでせうね。
でありますのに舖裝は載せ無いと云ふのが何共素敵であります。

 まあ、抑々其前に縁石乘上げて仕舞ますね、之では。呵呵
 其と、堤防から河川敷へ下りて行く爲の階段も、斯樣に年季が入つて居りまして、此方も一體何時頃作られた物なのだらうかと想像して仕舞ます。

 此眞直では無く不揃具合が又何共可愛らしいであります。
 鬼怒川は河川敷が廣いので、寫眞を撮るのが樂であります。

 と云ふ事で、橋臺部分であります。
石積の橋臺が時代を感じさせて呉れ、手荒く素敵であります。

 支承は此頃は可動式や固定式との使ひ分けとかつて如何なのでせうか。
何か全部固定支承だつた樣な氣が致しましたが。

 併し之、四尺程嵩上されてゐる樣なのでありますが、何處で如何と云ふの、分るでせうか。
拙にはさつぱりであります。

 因に、如何やら排水桝からの排水は地覆の横からに成つてゐる樣であります。
 下から桁と橋脚を見てみます。

 何かですね、之だけで混凝土の牀版を支へられてゐるんだと思ひますと、一寸不思議と云ひますか、牀版共々結構頑丈な物なのだなあと、ふと素人は思ふのであります。

 其に、幾度もきつと修繕とかされてゐるのでせうけれど、基本的に昭和六年の桁でせう、其も何か凄いなあと思ふ次第であります。
 して、其橋脚なのでありますが、昭和六年にしましては何かもつと古い樣な作りだよなあと思ひましたら、實は之、何と明治四一年に着工し、 大正四年に完成した初代の木橋の頃からの物ださうであります。

 或る意味、現役明治物件でありますね。
 煉瓦積みのウエルが日本鐵道(東北本線)東鬼怒川橋梁跡とそつくりであります。
 石積の尖頭型の橋脚が手荒く素敵であります。

 之が大正四年に竣功した木橋時代の頃依り四尺(一.二米)嵩上されてゐるとは云へ、當時の姿をほぼ其儘殘してゐると云ふのは素晴らし過ぎると思ふのであります。

 其と、角に成る部分の石は表面が平らでは無いのは、意匠的な事、若くは之で敢て亂流を起こす事に因つて、増水時に橋脚を保護する爲なのでせうか。

 桁と桁は鐡索の樣な物で繋れてゐる樣でありますが、之は耐震補強と云ひますか、桁の轉落防止の爲の措置の樣でありまりす。
 綺麗な姿であります。

 まあ良い加減左岸側へ向ひませう。
 構造材は成程、斯う云ふ具合に組まれてゐるのでありますね。

 此方、 【桂村赤澤-御前山村野口 那珂川大橋】 のランガアトラスとは構造が違ふ爲か、鋲の數とか、色々と違ひが見て取れて面白いであります。
 鬼怒橋。

 併し如何して當時の銘板が殘つてゐ無いのでせう。
老朽化に因り交換され度のか如何か、一寸氣に成ります。

 其と、變な話でありますが、個人的には斯う云ふ具合に錆が出てゐる方が雰圍氣有つて好きであります。
 鬼怒川。

 ふと思つたのでありますが、高欄も當時物の儘なのでありますかね。

 まあ其と、如何でも良い事なのでありますが、五五九.四米も或る橋は自轉車で渡ると結構長く感じまして、一寸餘り氣持の良い距離では無いなあと思ひました。
 冩眞を整理して居りましたら、左岸側からも冩して居りました。

 餘り良い具合には撮れて居りませんでしたが、是で當時の雰圍氣が樂しめるでせうか。
 左岸側では橋臺の支承部分を觀察する事が出來ました。

 如何やら兩側共に同一の支承が使はれてゐる樣であります。

 完全に固定されてゐる、のでありますかね。
氣温の變化での伸縮とか、如何なのでせう。
 一度河原に下りました處、橋脚をじつくりと見られましたので、改て近附て見てみました。

 上から四段目の邊で色味が變つて居りますので、其處から上が嵩上された部分と見て良いのでせうか。

 何と無く、尖頭部分の迫上る角度も違ひますしね。
 併し良くまあ斯う云ふ具合に綺麗に石を切る物でありますよね。
ちやんと圓く組めるのでありますから感心致します。

 と云ひますか、此削れ具合から察しますに、此處は元々流れの部分だつた筈だと思ふのであります。
其なのに今は陸地なのでありますから、自然つて本當に凄いであります。

 併し案外、鐵つて長持する物でありりますね。
 さうして、此拱状の開口部の積方とか、もう藝術品と云つても良い位ぢや無いかと思つて仕舞ひます。

 之の表面の膨み具合も意匠の一部として考へられての事でせうから、唯々感心する許であります。
が、之が當時は普通だつたのでありますよねえ、きつと。

 否併しもう何と云ひますか、實際、とても素晴らしい物見させて戴きましたと云ふ感じであります。
土木遺産と云ふのも納得の物件であります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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