桂村赤澤-御前山村野口 那珂川大橋

2674年 1月 2日 探訪

 茨城縣の那珂川に架る橋の中では有名物件でありますので餘りアレだつたのでありますが、氣附ばどんどん減つてゐるトラス橋。
でありますので、一本位は寫眞に收て置かうと思つた次第でありますので、今囘探訪しようと相成りました。

 して、まあ、竣功年度は後程書くのでありますが、御覽の樣に一見して分る通り古い橋であります。
其幅員からして中央線を引くのはぎりぎりだつたのでは無いかと云ふ位、走つてゐても正直毎囘嫌に成ります。

 と云ひつつも、拙の何時もの徘徊道程でありますので、嫌よ嫌よも好きの内、と云ふ事でせうか。呵呵

 否、對向車さへ來無ければ好きなのでありますがね、實際。

 さう云へば此處御前山界隈、關東の嵐山と呼稱されてゐるさうなのでありますが、ほとんど夜しか通りませんので、其景色には氣附ませんでした。

 扨、二つの村に跨る那珂川大橋でありますが、地圖を參考に致しますと、何方かと云ふと御前山村の部分の方が橋長が有る樣でありますので、不取敢御前山村物件と致しました。

 其では此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。
 なかがわおおはし。

 普段正假名遣ひで文章を書いて居りますと、如何にも「かわ、おお」と云ふ表現が馴染め無いのであります。
「かは、おほ」と書くのが正しい日本語、と今更云つてもアレでありますが、さう云ふ譯で戰後物件でありますね。

 併し立派な親柱であります。
斯う云ふ意匠、鬼怒川に架る昭和卅九年竣功の此方、 【氏家町向河原-上河内村下小倉 氏家大橋】 が似た感じでありますので、大橋と附からには、と云ふ意向での意匠なのでせうか。
 夥しい數の鋲であります。

 斯う云ふ場合、此處で組立たと云ふ事で良いのでせう、ね。

 何か文字が書かれてゐたのが消えてゐる樣でありますが、一體何と書かれてゐたのでせう。
 其々の鋼材の組合せ方が分るでせうか。

 高欄はガアドレイルを使用して居りますが、之は昭和四八年前後頃主に使用されて居りましたガアドレイルでありますね。

 して、其以前に別な高欄が附てゐた樣な跡も御坐いませんので、若かしますと、其年代迄地覆とトラスの部分以外、何の轉落防止策も無かつたと云ふ事でせうか。

 まあ正直、落ちる奴が惡いと云ふのが昭和の常識、正論でありましたからねえ。
流石に此橋長、交通量では酷だと思ひますが、ね。

 其共、地覆、牀版共に更新されてゐるからなのでせうか。
 那珂川。

 躍動感の有る字體が素敵であります。
と云ひますか、流石に此字體では架橋發注主の首長の筆跡とは思へ無いのでありますが、如何でせう。

 支柱に書かれた字、何か落書なのでせうか。
 では、横に架設されてゐる昭和五三年竣功の那珂川歩道橋を渡り乍觀察して行かうと思ひます。

 嗚呼、素晴らしい姿でありますね。
形式的には下路式ランガアトラスと云ふ樣であります。

 但し拙は形式的な事に詳く無いので、檢索して見る事を御勸め致します。
 橋臺と桁の接合部。

 斯う云ふのを可動式支承と云ふのでせうか。
一見して華奢な感じに見え無くも無いのでありますが、其で十分に支へられてゐる事に感心であります。
 橋脚部分の繋目。

 右と左では脚の形が違ふのでありますが、左が固定支承で右が可動支承、で良いのでせうか。 其と、桁と桁を結んでゐるピンの樣な形の物は一體如何云ふ材質、構造で出來てゐるのでせうか。
 橋脚。

 重力式とか何とか云ふ形式でせうか。

 其は扨措き、型枠の跡が素敵であります。
上部の樣子。

 斯うして見ますと、L字型の鋼材と鐡板で構成されてゐるのでありますね。
而も良く見ますと、縱の柱、鋼材同士が密着してゐるのかと思ひきや、間に鐡板が挾つて居りますので其分隙間が當然在ると思ふのでありますが、 其が"逃げ"に成つてゐるので均衡が取れてゐると云ふ事なのでせうか。
 桁の兩端部分は力が掛るからでせうか、中間部分とは造りが違ひます。

 鋲の數が其を物語つてゐる樣に見えるのでありますが、自動車を通す分上部を開放し無いといけないので、當然と云へば當然なのでありますかね。
 各桁に附て居ります工事銘板であります。

 昭和廿四年竣功、茨城縣建造なのでありますね。
と云ふ事は、當時は縣道だつたと云ふ事でせうか。

 其と面白いのは、此頃は"内示"と云ふのでありますね。
其後が"道示"に成り、鐡桁の場合は"鋼示"に成るのでせうか。
良く知りませんけれど。

 製造の部分が塗料で埋り讀辛いのでありますが、「株式會社 横河橋梁製作所」との事であります。
 一徑間を長くする爲にランガアトラスと云ふ構造にしたのでせうが、御隣は普通の桁で同じ長さを得られてゐると云ふのが何共、技術の進歩なのでせうね。

 して、ふと氣に成りますのは、鋲留と溶接では實際何方の方が強度やか耐久性が出せるのでせうか。

 彼の震災に耐へたのでありますから、強ち最新が最良共限ら無い樣な氣がし無いでも無いのでありますが、如何なのでせう。

 と云ふ事で、左岸側へ遣つて來ました。
 那珂川大橋。

 して、此方も氣に成りますのは、ガアドレイル以前の柵は何だつたのかと云ふ事であります。

 如何にも痕跡が無いのが殘念でありましてね。
 昭和二十四年十二月成。

 竣功竣工完成完工、まあ、要は意味さへ通じれば何でも構は無いと云ふのが日本語の強みだと拙は思ひます。

 此頃には年度末と云ふ慣例は未だ無かつたと云ふ事で宜しいのでせうか。

 因に銘板でありますが、最後は「成」の一文字だけでありまして、決して脱字では御坐いません。
 管理母體の省廳が無く成つた爲に塗り潰された河川名看板。

 して、建設省つて今は何に成つたのでせうか。
て、嗚呼成程、運輸省共合はさり國土交通省でありますか。
其内内務省とか逓信省と同樣「何其?」と云はれる樣に成るのでせうね、建設省も。

 と云ひますか、如何して書直さ無いのでせうか。
 親柱の繼目。

 觸つてはゐ無いのでありますが、多分材質は花崗岩かと思はれます。
さう云ふ點からも、架橋に對する意氣込を感じられる名橋でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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