2680年 3月 24日 探訪
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此方は
【宇都宮市石井町 鬼怒橋】
依り鬼怒川を八キロ半弱程下つた處に架る、栃木縣道一九三號線の橋であります。 平成廿一年に新橋が隣に架り、現在は歩行者自轉車專用橋と成り主役を讓つて居りますが、架橋當初は立派な橋だつたのが見て取れますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、右岸上三川町側から見て行き度いと思ひます。 |
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宮岡橋。 何か獨特の字體でありまして、如何にも「宮」が「富」に最初見えて仕舞ました。 とは云へ、之は多分發注者首長の直筆では無く、工業的字體だと思はれます。 「橋」の變字體も初て見る字體であります。 併し、可也凝つた意匠の親柱でありますね。 因に、橋名は多分此方の路線名"雀宮眞岡線"から命名され度のでは無いかと推察致します。 |
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鬼怒川。 此親柱、多分河川若くは橋に關して何かを想起した、させる意匠だと思ふのでありますが、さう思はせるだけでも素晴しい出來だと思ひます。 其に今迄見た事が無い意匠でありますので、此方の架橋に掛る意氣込足るや、相當の物だつたのでせう。 ぱつと見て取れますが、此方下流側は手荒く地覆が改修されて居りまして、路盤部分の幅員は結構狹められて居ります。 其に元の高欄の柱の跡も見て取れるのが中々に素敵であります。 |
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現在の高欄は新橋が架橋された時にでも交換され度のでは無いでせうか。 |
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排水桝。 |
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横から見ました處、此方は鈑橋でありますね。 唯、I桁なのか箱桁なのか此位置では判斷に惱みます。 |
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と云ふ事で河川敷に下りて確認致しました。 流石鬼怒川、 【氏家町向河原-上河内村下小倉 氏家大橋】 同樣箱桁でありました。 何か、新橋の排水管が凄い事に成つて居りますね。 |
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橋臺と親柱裏側であります。 あ、此方落橋防止裝置が附て居りませんが、原型未改修状態の儘なのでせうか。 では左岸側へ移動致します。 |
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宮岡橋。 さう、凄い意匠とは云へ何處かで見た親柱に近いなと思つたのでありますが、氏家大橋の親柱の意匠を依り一層派手にし度感じでありますかね。 |
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嗚呼殘念、此方は銘板が取外されて居ります。 と云ふ事は、多分竣功年度が記されてゐたのでは無からうかと思ふのでありますが、何故に火曜な事に成つたのでせう。 若かして新橋が架られたら取外さ無いといけないと云ふ事なのでせうか。 だとしまし度ら、何か一寸勿體無いであります。 |
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因に、此方の桁横には橋歴板が附て居りました。 確認致しますに、昭和四四年十二月完成であります。 と云ふ事は、親柱の銘板には"昭和四十五年三月竣功"と表記されてゐたのでせうかね。 併し此方、先づは堰在りきで架橋され度のかも知れませんので、多分橋脚の一部と堰が一體と成つてゐる爲に歩道橋として殘されてゐるのかも知れません。 まあ、今と成つては結構幅員の狹い橋でありますので、或る意味其で丁度良かつたのかも知れません。 以上、御附合有難う御坐いました。 |