黒羽町黒羽向町-黒羽田町 那珂橋

2678年 5月 29日 探訪

 此方は黒羽町の中心部を流れる那珂川に架る、黒羽で橋と云へば此方と云ふ存在であらう、國道四六一號の橋であります。

 【宇都宮市石井町 鬼怒橋】 同樣栃木縣の土木遺産に指定されてゐる程の立派、且つ有名物件でありますが、其實如何な物か、不取敢拙の視點で見て行かうと思ひ、探訪した次第であります。

 と云ふ事で此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。
 昭和六年八月竣功。

 おや、えゝと、確か昭和八年竣功の鐵橋だと云ふ話なのでありますが、如何讀んでも「昭和六年」と書かれて居ります。

 此は如何に。

 併し立派な親柱でありますね。
とは云へ昭和八年の竣功當時の冩眞と比較致しますと、現在では或る程度の高さ迄で上部を撤去してゐる樣であります。
 其後の方には何か石造の構造物が御坐いました。

 多分之は當時物、とは云へ昭和世代の物なのか大正世代の物なのかは分りませんが、轉落防止用の柵と云ふか何かだつたのでせうかね。
 如何にも鐵橋らしい下路式四連トラス。
 此方、後年に成つて設けられた歩道橋部分は昭和四六年製の樣であります。
 なかはし。

 如何にも昭和四六年らしい親柱と銘板であります。
 構築美を感じるトラス上部。
 成程、此方では昭和八年と成つて居りますので、竣功年は昭和八年で正解なのでせう。

 と云ふ事は、昭和六年と云ふのは何なのでせうか。
 鋼材の組合せと鋲。

 其と鳩。呵呵
 似た樣な鐵橋とは云へ、上記の鬼怒橋共構造が違ひますし、 【鹽谷町佐貫 觀音橋】【桂村赤澤-御前山村野口 那珂川大橋】 共違ふ物でありますね。
 伸縮裝置は交換されてゐるのでせう。

 其と、多分高欄も元からの物とは違ふと推察致します。
 排水桝。

 之も如何でせう。
多分戰後に一度は交換されてゐる樣に思ふのでありますが。
 下に降りて來ました。

 先づは橋臺から。

 全て石造で出來て居ります。

 して、之、多分正式には何とか積みと云ふ方法なのでせうが、拙には分りません。

 其にしましても立派な支承であります。
 主桁底部の構造。
 石造に依る美しい尖頭型の橋脚。
 思つた依りも先端は鈍角でありますかね。
 現在露出してゐるのは全部で九段。
 現在流れに面してゐる橋脚では六段目から下が依り一層尖つてゐると云ふ感じであります。
でありますので、全ての橋脚が同じ構造では無いのでありますかね。

 併し要石を配したアヽチ部分が美しいであります。

 して、さう、竣功年の違ひも然る事乍、此方の橋脚、冩眞で見ますに大正時代に作られた木造トラスの時からの流用では無いかと思ふのでありますが、如何なのでせうか。
多分、鐵製に變更するに當り、上部を數段減らして對應したのでは無いかなと思ふのでありますが實際の處如何なのでせうか。

 では左岸側へ移動致します。
 那珂橋。

 えゝ、此處だけ見ますと如何にも昭和四十年代物件と云ふ感じで感動は薄いでありますね。
 那珂川。

 をゝ、何と云ふ立派な親柱でせう。
常夜燈が消失して居りますが、之は見事にほぼ竣功當時の姿を殘してゐると思ひます。

 出來ますれば、昭和四十年代に作られたであらう銘板も當時物でありましたら尚一層の良さが有つたのでありますが、其は其で仕方無い事情が有つたのでせうから、 まあ仕方無い處でありますね。
 して、此方側の一徑間だけ上路鈑橋であります。
 高欄は連續して同じ物であります。

 多分後年に交換されてゐるであらう高欄だと思ふのでありますが、地覆に舊高欄の跡が無い事から、地覆自體も全て改修されてゐるのかなと推察致しました。
 左岸側の橋臺。
 主桁、其と橋臺から親柱の立上り部分。
 主桁下側の構造。
 トラス側との高さ調整の爲、鈑橋側の支承には石を置いて調整して有ります。

 扨、久々に有名物件を見ましたが、矢張其だけの手間暇が掛つた大規模な物件でありますね。
土木遺産に成るだけの事は有るなと納得なのであります。

 とは云へ、拙は當り前に在つて、誰も然程見向してゐ無いであらう 【黒羽町黒羽向町 旭橋】 の樣な歴史的物件の方が愛しいなと感じるのでありますがね。

 まあ、當然此方も此儘末永く殘つて行つて欲しいなと思へる物件でありました。
但し竣功年の謎はずうつと殘る儘でありますがね。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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