黒羽町黒羽向町 旭橋

2678年 5月 29日 探訪

 此方は 【黒羽町黒羽向町-黒羽田町 那珂橋】 に向ふ國道四六一號那珂橋西交叉點から三百五十米程先、黒羽向町交叉點から百米程西側、堂川に架る栃木縣道一八二號線の橋であります。

 元々東野鐵道黒羽驛前の通りでありますので、若かしますと黒羽停車場線等と呼ばれてゐた道なのかも知れませんが、 不取敢、ぱつと見ただけでも歴史的物件の樣な感じが致しますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で、此方驛前側だつた右岸側から見て行き度いと思ひます。
 大正十二年六月竣〇。

 をゝ、素晴しい、大正物件でありますよ。

 御影石の手荒く立派な親柱が流石と云ふ感じでありますし、且つ餘程良い石なのか、状態が良いのも素晴しいであります。

 唯、現在では道路の勾配を一定にする爲か、此方側は結構路面が嵩上されて居りまして、「シユンコウ」の「コウ」の文字が「工」なのか「功」なのかが分ら無いのが些か殘念であります。
 あさひはし。

 是又立派な字體で彫られて居りまして、 【鹽谷町船生 白石橋】【那須町大和須 棚橋】 に通ずる物を感じさせて呉れます。

 多分でありますが、拙が之迄に見た中では最古の橋でありますので、此後は親柱も混凝土で作られる樣に成つて行つたと云ふ事なのかも知れ無いと推察致しました。
 高欄は鐵管を一本使用致しました意匠でありまして、戰前物件らしく上部は丸味を帶びて居り、洗出仕上に成つて居ります。

 何か、件の 【アレ】 に似た意匠と感じますので、若かしますと此方が其等の原型なのでせうか。

 其では左岸側へ移動致します。
 大正十二年六月竣功。

 成程、「功」の字でありましたか。

 正直、拙も「工」依り「功」の方が何と無く好きであります。
 旭橋。

 是も立派な字であります。

 當時の首長は皆立派な字を書きますね。

 其と、出來る限り文字の上下寸法を揃へる樣に文字の大きさを變てゐるのでせうか。
其共、橋名は分り易い樣に大きくしてゐるのでせうか。
 横から見た處でありますが、後年に附足された歩道の桁が大きく、肝心の道路側の桁が見えません。

 多分でありますが、餘厚味の無いT字桁なのかなと思ふのでありますが、牀版橋かも知れませんよね。
 一寸分りませんでしたので、まあ橋臺の突出具合でもと思つて冩して見ました。

 如何にも戰前物件らしく、橋長を短くし度いと云ふ感じが傳はつて來ます。

 併し之だけの歴史的物件、東野鐵道跡共々、大田原市には大切に維持して行つて欲しいなと思ふ物件でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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