鹿沼市板荷 日蔭橋

2681年 5月 25日 探訪

 此方は 【鹿沼市板荷 川化橋】 依り七キロ程黒川を上つた所に架る橋であります。

 一見して 【鹿沼市富岡 富岡橋】 と同樣の意匠をした高欄から同年代の橋と思はれますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。
 黒川。

 富岡橋も然事乍、此方も獨特な意匠の親柱であります。

 何か、 【今市市小代-鹿沼市板荷 戸鼻橋】 もさうでありますが、鹿沼市つて特徴的な意匠の親柱が目立樣な感じであります。
 日蔭橋。

 最初栗山村の樣に日向、日蔭と云ふ地區名から來てゐると思つたのでありますが、如何やらさう云ふ譯では無さゝうであります。
 高欄は富岡橋同様鐵管を三本、混凝土管を一本使用しました意匠であります。
 排水桝は 【鹿沼市見野 見野橋】 と同樣の物であります。

 では右岸側へ移動致します。
 昭和37年4月完成。

 富岡橋の一年後に完成と云ふ事が意匠の違ひでせうか。
 おろばし。

 "日蔭"で「オロ」と讀む邊、アイヌ語由來の呼稱でありますかね。
先づ初見では讀無いと思はれます。
 横から見ました處、一徑間のPCT桁橋でありました。

 橋臺から出てゐる親柱の基礎部分が中々であります。
 航空冩眞で少し調べて見たのでありますが、昭和廿年代は木製吊橋、若くは木製トラス橋の樣な感じに見えまして、昭和卅六年には混凝土らしき橋脚が見えましたので、 一度は永久橋が架られてゐたのだらうと思はれます。

 でありますが、御覽の通り舊橋の痕跡は何れも分りませんでした。

 併しまあ、山間に佇む素敵な橋が見られて滿足でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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