鹿沼市板荷 川化橋

2681年 5月 25日 探訪

 此方は 【鹿沼市見野 見野橋】 依り三キロ半程黒川を上つた所に架る橋であります。

 ぱつと見で分る其佇ひから、如何にも昭和卅年代前半頃と云つた感じの橋でありますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。
 黒川。

 中々に凝つた意匠の親柱でありまして、可也架橋に對する意氣込が感じられます。
 川化橋。

 何と讀むのか不明でありますが、不取敢地區名からの命名では無いのは何故なのでせう。
 其隣には記念碑が建立されて居りました。

 航空冩眞では先代橋も確認出來るのでありますが、地元の人達の要望だつたのか、寄附も可也の物だつた樣であります。

 併し、總工費參百七拾七萬圓と云ふ、今の物價とは比較出來無い額であります。
 高欄は總混凝土造でありまして、意匠的には 【鹿沼市千渡 堂下橋】 に通ずる物を感じます。
 排水桝は地覆側に附て居ります。
 此方が本來の状態なのでせうか、其共壞れてゐて下迄見えるのでせうか。

 では右岸側へ移動致します。
 一寸銘板は見辛いでありますね。

 併し、黒んだ風合が重厚感を生んで綺麗であります。
 昭和三十一年七月竣工。

 成程、道理で何と無く昭和廿年代的な、何方かと云ふと戰前に近い樣な古風な雰圍氣も纏つてゐるのでありますね。
 右岸側は橋臺が迫出してゐる所爲か、後年に成り轉落防止のガアドレイルが設置されてゐる樣であります。

 御蔭で銘板が見辛いでありますが。
 かわばけばし。

 何か凄い名前でありますので少し調べて見た處、如何やら此方の東側に川化山(カハバケヤマ)と云ふ低山が在るさうでありますので、其方からの命名なのでありますね。

 と云つても、地圖では其名前を確認出來ませんでした。
 横から見ました處RCT連續桁、と思ひまし度ら普通に四徑間のRCT橋でありますね。

 親柱を載せる部分の橋臺の造が獨特な感じであります。
 不相變型枠跡が大好きでありますが、此方も手荒く美しいであります。

 梁部が後年に成り補強されて居りますが、基礎部分、之も補強されてゐると見て良いのでありますかね。

 併し一年後に架橋された見野橋はPCであるのを考へますと、橋長の長い橋は昭和卅一年頃を境に時代はPC桁へ移行し度のでありますかね。

 まあ、大好きなRCT橋が見られて拙は大滿足でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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