鹿沼市見野 見野橋

2681年 5月 25日 探訪

 此方は 【鹿沼市府中町-朝日町 府中橋】 依り三キロ程黒川を上つた所に架る、栃木縣道一六四號線の橋であります。

 親柱の無い、且つ鐵柵の樣な高欄の姿に然程古くは無いかなと云ふ印象でありますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。
 親柱も銘板も無く、高欄の端が延長されて轉落防止に一役買つてゐると云ふ感じであります。
 見野橋。

 上流側にも親柱は無く、高欄が延長されてゐると云ふ感じであります。

 若かしますと此方が原型で、下流側は歩道橋部分の増設と共に短縮加工され度のでせうか。
 結構大きい銘板であります。

 橋銘は勿論地區名からの命名であります。
 高欄は鐵柵の樣な、如何にも昭和四十年前後以降と云ふ感じの意匠であります。
 排水桝は 【茂木町河井-牧野 大藤橋】 と同樣の物でありますので、昭和卅年代後半頃竣功と見るのが妥當でせうか。

 では右岸側へ移動致します。
 此方には銘板が附てゐた形跡が御坐いませんので、之で元からの状態なのでせう。
 此方も同樣であります。

 唯、歩道橋との間の柵は後年に成つてからの物だらうと想像に難く無いのでありますが、高欄の端が柱と共に綺麗でありますので、矢張之で元からの状態なのでせうか。
 横から見ました處、此方は四徑間のPCT橋でありました。

 と云ひますか、途中から右岸側に掛ての地覆が、何か可笑しく無いですか。
 曲線部分はストラツト、で混凝土橋も良いのかな、が附て牀版を載せて對應してゐるのでありますね。
 右岸側も確認して見た處、同樣でありました。
 嗚呼併し、橋脚の型枠跡が素敵であります。

 梁部は後年に成つてから補強されて居りますが、基礎部分は元からの樣に見え無くも無いであります。

 扠、橋歴板が見當無いので調べました處、昭和卅二年竣功でありました。
てつきり昭和四十年前後だらうと思つて居りましたので、豫想依り手荒く早い時期の竣功に驚きました。

 でありますが、此方の冩眞でも分るのでありますが、如何にも地覆の施工がアレでありますので、 若かしますと歩道橋部分が増設された昭和五七年に地覆、高欄共に更新されてゐるのかも知れません。
但し親柱が無かつたのは航空冩眞で見ますと元からの樣でありますので、元の姿の高欄は如何だつたのかゞ氣に成る處であります。

 まあ、中々に面白い物が見られて滿足でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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