今市市小代-鹿沼市板荷 名稱不明廢橋跡

2678年 5月 8日 探訪

 【今市市小代-鹿沼市板荷 戸鼻橋】 を見た後、自動車に戻つて 【鹿沼市板荷 越路橋】 を見に行かうと思つた時、此方を見附て仕舞つたのであります。
 扨、と云ふ事で、此方は戸鼻橋依り三百米程行川を下つた處に在る、橋の跡であります。

 とは云へ、ぱつと見に殘つて居りますのは此橋脚のみと云ふ感じでありますが、橋臺や手前の橋脚跡等、も少し何か殘つてゐるのか、不取敢此方、左岸側から見たいと思ひます。
 少し上兩側から見てみますと、尖頭型の橋脚に土臺部分は手荒く立派な補強が成されて居ります。
多分此補強は後年に成つてからの物かも知れませんが、上部の均され具合等からしまして、結構古くに施工された物だらうとは思ひます。

 して、尖頭型と云ふ事で、竣功は大正頃から昭和初期に掛ての物では無いでせうか。
 少し下流側から見ましてもきちんと尖頭型に成つてゐる事から、年代的には大正頃から昭和一桁頃で間違無いと推察致します。

 其と、橋脚上部の姿が 【鹽谷町上寺島 名稱稱明橋 【其二】】【氏家町馬場 名稱不明橋】 に似た物を感じますし、右岸側に見える橋臺が石積で出來てゐる事等から、上部構造は木製だつたのでは無いでせうか。
 此方左岸側も良く見ましたら石積の橋臺は殘つて居りました。

 扨、竣功年は分ら無いとしまして、では何時頃迄現役だつたのかと思ひ航空冩眞を見ました處、昭和六一年迄は架つてゐたのが確認出來、 平成二年には上部構造が撤去されてゐるのが確認出來ましたので、其頃迄現役物件だつたと云ふ事でありますね。
さうして、其後、多分水害か何かで左岸側の橋脚が流出した爲に撤去された、と云つた處でせうか。

 と云ふ事は、若かしますと水害等が無ければ再び木橋で架替られてゐたかも知れ無いのでありますかね。

 不取敢、何の豫備知識も無い儘現地に來て、良い物が見られた好例でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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