上河内村宮山田-今里 栃木縣道六三號線バイパスノ前身ニ當ル道 【前篇】

2673年 7月 1日 探訪

 【現在地】

 扨、前囘は舊道側の道筋を探訪した譯でありますが、今囘は現在のバイパスの前身に當ると云ひますか、 此道が在つたからこそバイパスを通す下地が出來てゐたのでは無いかと推察致します道であります。

 多分バイパスが出來る迄は、餘り此方を態々通る人は少かつたのでは無いかと思ふのでありますが、 其でも此處に道が通されたと云ふ事の意義が大きかつたのだらうと思はれます。
さうして、一寸今囘變則的な辿り方に成つて仕舞つたのでありますが、其御蔭で感動出來る出會が在つたと云ふのも事實でありますので、 敢て其儘記して行かうかと思ひます。

 では、いざ參と致しませうか。

 と思つた途端に舊線形側に入る車止が曲つてゐるのでありますが、うつかり進入しようとして仕舞つた人が居る、と云ふ事でありますよね。
 でありますので、大きな町の宣傳看板を建てた、と云ふ事なのでありますかね。
 少し入つてから振返つて撮影致しました。

 現在では縣道と分岐する部分は縁石にて閉鎖され、直交するのに近い線形に成つて居りますが、此方の道筋は元々此方の 【中島橋】 から續く道でありますので、或る意味一石二鳥だつたと云ふ事でせうか。

 併し、閉鎖されたのは後年に成つてからだつた、と云ふ事なのでありますかね、車止の曲り具合を見ますと。
 道は比較的直線的に進みつつも場所に因つては折てゐる、と云つた處でせうか。

 多分でありますが、左右の土地の高低差も然程無い事から、此道筋自體向かしから在つた譯では無く、意外と後年に成つてから開鑿された道なのでは無いでせうか。

 但し其でも或る程度は地形を考慮しつつと云ふ樣な感じも受けますので、大東亞戰爭以前の道なのだらうとは思ひます。

 【御宮橋】 、手荒く目立つて居りますね。
 斯う云ふ折具合が道らしくて好きであります。

 此方の道の前身ら當る道は、前方左側から合流して來る畦道の樣な處がさうなのでありますが、現在では途中、御羽黒山の麓邊の部分が廢道と化してゐる樣であります。
 して、西鬼怒川發電所の前で羽黒北街道と合流して終點であります。

 では、次囘からは反對に今里交叉點へ向て行き度いと思ひます。

 【中篇】に續く。

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