2673年 6月 4日 25日 探訪
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扨、今囘は別段之と云つてアレなのでサクサクと行きませう。 此方は平成三年三月に竣功した現道の栃木縣道六三號線バイパスの羽黒橋であります。 讀は確か不濁に"はし"だつた筈でありますが、見て來ただけと云ふ適當さでありますから餘り自信は無いのでありますが、まあ良いや。 流石に新しいでありますし耐荷重性も高いのでせう、鋼材がとても立派であります。 焦茶色なのは、今時の環境や景觀云々の爲かと思はれます。 適當に書いて居りますが。 |
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黒御影石の親柱、手荒く立派であります。 と云ふかもう、柱と云ふ依り表札の樣な物では無からうかと思つて仕舞ひます。 不取敢、斯う云ふ具合に横に書いて有りますと、通行する人に橋名を見て貰はうと云ふ氣持は餘り無い樣な氣がして仕舞ひます。 |
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斯う云ふ具合に親柱の手前に迄高欄が、或る意味控柱の樣に附てゐるのでありますから、まあ、何と云ひますか、
と云ふか、今は橋の名前とか、さう云ふ事つて如何でも良い事に成つてゐるのかも知れませんね。 當然の樣に何處にでも普通に架つて居りますから。 併し成程、路面からの排水つて縁石部分の切缺きからなのでありますね。 |
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御次、羽黒橋から二百米程下流に架る中島橋(ナカジマハシ)であります。 此方は羽黒橋、と云ふかバイパスが出來る迄は主役だつたであらう橋であります。 舊道時代の栃木縣道六三號線を避けて、此方を通つてゐた人も結構居たのでは無いでせうか。 其にしましても、桁の鋼材の厚みが羽黒橋とは全然違ひますね。 まあ、幹線道路以外でありましたら、大抵此位の物を多く見掛るのでありますが。 |
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典型的な規格橋でありますが、ちやんと親柱が建ち命名されてゐる何て素敵であります。 唯、其故に乘用車同士の擦違ひは愼重に、と云ふ程度の幅員であります。 |
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昭和四十八年三月竣工。 面白いのが、此方きちんと四本の親柱全ての銘板が違ひまして、斯樣に竣功年の銘板も在る事であります。 親柱の意匠も隨分と現代的と云ひますか、昭和卅年代頃迄とは違ひ、機能性依りは飾り的な意味合が強く成つて來てゐる時代の物、と云ふ事なのでせうか。 唯、不思議なのは高欄に使用して居りますガアドレイルが古第一期の物なのであります。 昭和四八年でありますと、大抵古第三期の物なのでありますが、此方は何故に第一期の物なのでせうか。 |
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御次は中島橋から二キロ程下つた處に在ります、東北自動車道の西鬼怒川橋であります。 上下線合はせますと、幅員的には西鬼怒川一かも知れませんね。 おや、一般道の橋と名前が重複してゐる樣でありますが、良いのでせうか。 其共、高速道路は別扱と云ふ事なのでせうか。 |
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親切にも、河川側からでも橋名が分る樣に成つて居りました。 唯、竣功年は分ら無かつたのでありますが、東北自動車道の開通ど同時でありますのは間違ひ無いので、昭和四八年頃でせう。 併し嗚呼、桁に罅が入つてゐるのは彼の地震の影響でせうか。 |
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一徑間の混凝土T字桁橋、と云ふ處でせうか。 まあ間違ひ無く時代的にPCだと思ひます。 併し流石高速道路、手荒く迫力が有る橋でります。 上下線其々に若干傾斜が附てゐる樣でありますが、曲線、と云ふ依りは所謂斜橋だからでせうか。 でも此處、助かりました。 日差しを遮る部分がずうつと無かつた物でありますから、恰好の涼み場所でありました。 唯、何か一寸アレでありましたので、早々に退散致しました。 高速道路でありますから、色々とアレなのだらうと思はれます。 以上、御附合有難う御坐いました。 【西鬼怒川橋梁群 其六】に續く。 西鬼怒川橋梁群 其四は【此方】であります。 |