氏家町蒲須坂-宇都宮市川俣町 日本鐡道(國鐡東北本線)ノ遺構等 【其二】

2672年 1月 31日 2676年 1月 12日 探訪

 【其一】からの續きであります。

 【現在地】

 まあ、其でも鐵道用地らしからぬ、周圍に手荒く境界標が在る譯でも無いので、既に用地の所有權云々では綺麗に成つてゐるのでせう。
 【現在地】

 氏家大橋直下に遣つて來ました。
此處と西鬼怒川橋梁が度重なる災害でアレでありましたので、路線變更に成つたと云ふ譯でありますね。

 扨、日本鐵道の跡としましては有名な鬼怒川橋梁跡でありますが、基本的にほぼ全ての橋脚跡は殘つてゐたと見て良いのだと思ひます。
昭和廿年代の航空冩眞でも其は確認出來ますし、何個も流失したと云ふ話は聞いた事が御坐いませんので、ほぼ間違無い筈であります。

 して、鬼怒川橋梁に至る迄の築堤でありますが、昭和廿年代迄は堤防から少しの部分で殘つてゐた樣であります。
唯、大正時代、昭和卅年頃と續けて堤防は増築されて居りますし、氏家大橋の直横と云ふ事も有るからでせうか、もう其姿は確認出來無く成つて居ります。
 では、此方に殘つてゐる橋脚跡でありますが、此處迄經年劣化が進んで居りますと、一體元は如何云ふ姿だつたのかと想像するのも難儀なのでありますが、 若かしますと  【宇都宮市石井町 鬼怒橋】 の樣な姿だつたのでせうか。

 唯、之から上が尖頭型だつたか如何かは分りませんが、恐く、此煉瓦の上には石が載つてゐたと云ふ事なのでせう。

 併し、骨材が入つてゐ無い樣にも見えるのでありますが、如何云ふ構造なのでせうか。
 混凝土の上面、平らでありますよね。
 煉瓦の積方が分る、かと思へば、案外自然にはつられて居りまして、良く分ら無い物であります。
 一徑間先の物は倒れて居ります。

 百年以上も經てば致し方無しと云ふべきか、思ひの外川牀は洗掘されると云ひますか、自然の變化は人間の思考を遙に越えてゐると云ふ事でありますね。

 併し一番底の部分には木枠が組まれてゐたのでありますね。
良くまあ腐らずに殘つてゐたなと感心致します。
 而も良くまあ二つ共同じ方向に揃つて倒れたなと云ふ感じでありますが、其も想定内の設計通りだつたのでせうか。

 まあ、單に流行語を書き度かつただけでありますが。
 同時に、路線變更に成つたのも頷ける譯であります。

 現在の東北本線鬼怒川橋梁には、末永く現役で居られる事を願ふ許であります。
 振返つて撮影致しました。

 何か混凝土構造物が轉がつてゐるのでありますが、上流側の橋脚の物でせうか。

 若干上流側に在ると云ふのが謎なのでありますが。
 其と、此煉瓦の破片は間違無く此等の物なのでせうが、何故に上流側に在るのでせう。

 其程迄に濁流と化した場合うねるのでありますかね。

 【其三】に續く。

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