2683年 2月 28日 探訪
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此方は
【栃木市湊町 名稱不明橋】
依り入舟川を八十米程上つた所、
【栃木市倭町-湊町、入舟町 倭橋】
依り八十米程西進した所に架る橋であります。 まあぱつと見、如何見ても一連の栃木市内の橋同樣戰前物かと思はれますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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昭和七年四月架設。 今迄の物と笠石部分が違ふのが印象的であります。 |
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寶橋。 入舟に寶とは縁起の良い橋名であります。 |
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高欄は
【栃木市境町 境橋】
に通じる意匠であります。 では右岸側へ移動致します。 |
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あ、御寶發見セリ。 |
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昭和七年四月架設。 併し河川名表記が無い橋が多いでありますね。 |
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寶橋。 氣が附ば此方の橋も寶と云ふ感じでは無いでせうか。 一見すると親柱は橋臺では無く桁に載つてゐる樣に見えます。 |
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横から見ますと、混凝土T字なのでありますが、此方の冩眞では分り辛いでありますね。 斯うして見ますと橋臺側に親柱が載つてゐるのが御分り戴けるでせうか。 |
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左岸側から見ますと斯樣な具合であります。 多分地元では普通の橋と云ふ認識では無いかと思ふのでありますが、當然の樣に戰前橋が多いと、見てゐる此方も其で普通に思へて來るから不思議であります。 不取敢まあ、良い物が見られて手荒く滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |