2683年 2月 14日 探訪
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此方は
【栃木市室町、倭町-湊町 巴波川橋】
依り巴波川を三百米弱程上つた所に架る橋であります。 えゝ、もう見事に戰前物件にしか見えませんが、其實如何でせうか。 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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後年に成つてから附られた街燈でありますが、巴波川橋と同一の物でありますね。 細い部分で見て行きますと、 【栃木市室町-境町 相生橋】 や 【栃木市室町、倭町-湊町 巴波川橋】 共微妙に違ふ意匠の親柱に成つて居ります。 |
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昭和五年十二月架設。 上記の二橋依り四年も古い、而も手荒く状態も良いと云ふのは素晴しいであります。 併し、"竣功"では無く"架設"としたのは何故なのでせう。 |
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今の街燈も似合つてゐるとは云へ、元の姿も見たいと思ひ畫像檢索致しましたが、出て來ませんでした。 |
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倭橋。 地區名からの命名でありますね。 |
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高欄は戰前橋らしい意匠でありますが、初て見る姿でありました。 |
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此方にも排水桝が新設されて居りました。 では右岸側へ移動致します。 |
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基本的に栃木市内の巴波川の橋は兩岸對稱配置の銘板だと思ひましたが、竣功年でさうとは意外であります。 |
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昭和五年十二月架設。 河川名入れませうよ。 |
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さう、路盤。 基本的に輕く舖裝が盛られてゐるだけで、其程當時の姿と掛離れてゐる譯でも無さゝうな感じであります。 |
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やまとはし。 "し"の字體が手荒く素晴し過ぎてシビれます。 |
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横から見ました處、うゝむ、之も多分T字なのかも知れませんよね。 何と無く牀版桁の樣な氣がし無いでも無いでありますが、多分五本の橋脚の柱に對應してT字の主桁が載つてゐるのだらうと推察致します。 併しまあ、戰前橋が當然の樣に普通に架つてゐて、且つ普通に供用されてゐる姿が見られて手荒く滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |