2676年 7月 4日 探訪
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此方は 【鹽谷町道下 名稱不明橋】 からの歸路、 【鹽谷町大宮-上平 栃木縣道六三號線舊道】 の一枚目の冩眞の大宮交叉點なのでありますが、今囘初て其存在に氣附たのであります。 |
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さう、歩道側に如何にも古さうな親柱が殘つてゐたのであります。 |
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福田橋。 【氏家町押上 大橋】 や 【高根澤町平田-文挾 江沼橋】 の樣な雰圍氣の銘板でありますので、先づ間違無く戰前物件だと思はれます。 が、何か、其にしましては一寸樣子がアレであります。 |
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裏側の樣子から、高欄の柱の一部として機能してゐた樣であります。 其と、多分現在の樣に改修された時に、記念に此親柱だけ此方に移設したのでせうね。 |
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右岸側の方は如何かと云ひますと、斯樣な親柱の樣な物が御坐いましたが、如何やら標識柱の土臺の樣な物で、橋とは關係無さゝうでありました。 |
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上流側の高欄は御馴染古三期型のガアドレイルでありますし、舊橋の痕跡は御坐いませんでした。 其高欄から推察致しますに、昭和四八年から四九年頃に現在の姿に改修されたのでは無いでせうか。 |
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現在では擴幅された上に歩道も出來、此方の親柱が附てゐた頃の橋の面影は皆無でせうが、其當時の物を一つでも保存、と云つて良い状態なのかは措いとゐて、
地域の歴史を感じる物が現存してゐると云ふのは素晴しい事だと思ひます。 手荒く良い物が見られて大滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |