鹽谷町大宮-上平 栃木縣道六三號線舊道

2673年 6月 4日 探訪

 【現在地】

 氏家町方面から縣道六二號線(通稱大宮街道)を北上し、大宮交叉點で合流するのが縣道六三號線でありました。

 曾ては鬼怒川を渡河する上平橋が擦違ひも出來無い程に狹窄な爲、増加する交通量に對應出來ませんでしたが、現在では架替られ、縣道自體もバイパス化されました。
其に伴ひ大宮-上平地内を通る部分は舊道化、且つ部分的には縣道指定解除に成りましたが、今囘は簡單に其道筋を辿つて行かうと思ひます。

 して、此方を左折し、嘗ての上平橋迄向ひ度いと思ひます。
 折て直ぐに松川の 【名稱不明橋】を渡ります。

 此方、道自體は當然戰前と云ふか、確實に明治以前から在りますので、飽迄も自然の理に從つた樣な線形で進みます。
 バイパスが出來た御蔭で、良い眺望をのんびり樂しめる樣に成りました。
尤も、卅年以上前は現在と同程度の交通量だつたと記憶して居りますので、或る意味元に戻つた、とは違ひますね、はい。

 因に、左手奧の山が羽黒山であります。
 傍には縣道だつた證、栃木縣のキロポストが殘つて居りました。
 少しずつ河川に近附てゐる雰圍氣と云ふか空氣感、寫眞で傳はるでせうか。
是も限り無く自然に近い儘だからなのだと思ふのであります。
其共、嘗ての大水害(江戸時代:享保八年(一七二三年)の五十里洪水)でアレだつたので、其が傳はつて來てゐるのでせうか。

 併し戰前とほぼ變り無い風景が見られるつて贅澤であります。

 道の折具合も素敵でありますし。
 【現在地】

 但し此處から先、羽黒山方面の眞下に見えてゐる家畜舎の左手の方へ進んでゐた元々の線形は消失して居ります。

 まあ、如何進んでゐたから未だ地圖に表記されてゐる乘合バスの路線表示で分るのでありますがね。呵呵

 舖裝の繼目が御分り戴けるだらうか。
 【現在地】

 して、栃木縣道六二號線の未成バイパスを横斷しました。
交叉點で若干の改修はされて居りますが、其でも元々の中央線等も確認出來るのが嬉しい處であります。
 嗚呼、以前と何も變ら無い景色が懐かしくて嬉しく成ります。
 之が現實でありますが。

 通れ無いと云ふか、もう橋が無いので當然なのでありますが、ね。
 此處上平(ウハダイラ)橋は左岸側が昭和廿七年竣功の下路曲弦プラツトトラスで三連、 殘り右岸側迄は昭和卅五年竣功の下路平行弦ワアレントラスが五連と成つて居りまして、其如何にも橋と云ふ姿が好きでありました。

 架つてゐた當時でありましたら、丁度前の家の裏手邊りに微かに橋が見えたのであります。
 扨、愈々渡河する爲に高度を稼ぎます。

 して、此邊りから對向車が來無い事を願つてゐた物でありますよ。

 で以てあの木蔭から橋が、もう見え無いのでありますよね、殘念乍。

 まあ、仕方が無い事でありますよね。
御覽の樣に線形が現代から致しますと良く無いでありますし。
 此最後の曲線部分は作り直されてゐる樣であります。
 此處が曾ての渡河地點であります。

 舊上平橋の詳細は調べると出て來ますので其方を御勸め致しますが、左岸側の三桁では橋上で擦違ひが出來る程幅員が無く、 互ひに讓り合ひの交互通行でありましたから、まあ中には皆さん御察しな人が年々増加する譯でありますから、必然的に新橋とバイパス建設に至つたのだと思ひます。

 但し、計畫地點と云ふか路線は、當初から致しますと結構變はつてゐる樣であります。
 ふと振返りました處、此方の、標識か何かが立つてゐたであらう混凝土塊團が目に入りました。
若しかして此が、嘗て橋が架かつてゐたと云ふ唯一の證人でせうか。

 まあ、簡單ではありましたが縣道六三號線の痕跡を辿つて見ました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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