2681年 4月 5日 探訪
![]() |
此方は
【那須町高久丙 白戸川橋】
依り七百米程栃木縣道六八號線を福島縣方面へ進んだ所、餘笹川に架る橋であります。 高欄はガアドレイルに更新されて居りますが、如何見ても可也の年代物と云ふ感じであります。 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
![]() |
竣功昭和二十九年六月。 嗚呼、矢張可也の年代でありますね。 併し此方、昭和廿年代物件では結構モダアンな意匠なのでは無いでせうか。 |
![]() |
近接にて撮影。 親柱は洗出仕上であります。 |
![]() |
銘板が見えませんね。呵呵 丸い笠石と親柱の曲面が素敵であります。 |
![]() |
おおやかいたくばし。 |
![]() |
現在の高欄はガアドレイルに更新されて居りますが、元々の姿は
【某ストリイトビウ】にて確認出來ます。 如何にも其らしい意匠の高欄であります。 |
![]() |
更新に因り排水桝は地覆側に新設された樣であります。 |
![]() |
扠、多分此上流側部分が舊橋だつたと思ふのでありますが、痕跡は確認出來ますでせうか。 |
![]() |
殘念乍痕跡は御坐いませんでした。 強て云へば、側溝の位置がさうだつたと云ふ名殘でせうか。 では右岸側へ移動致します。 |
![]() |
大谷開拓橋。 橋名は少し先の地區名から來てゐると思はれますが、此方、開拓に伴つて新設された道路と云ふ事なのでありますかね。 |
![]() |
余笹川。 |
![]() |
横から見ました處、上流側では一寸分り辛いでせうか。 牀版橋では無く、多分T字桁かとは思はれます。 |
![]() |
左岸下流側から見ました。 一寸氣に成つて調べました處、此方の補修工事をされた會社の頁に冩眞が出て居りまして、T字桁と云ふ事が分りました。 型枠跡が素晴しい橋脚でありますが、痛んでゐる部分は水害の時にでせうか。 此處から下は、 【那須町寺子乙 東北本線餘笹川橋梁、同舊橋梁跡】 と 【那須町寺子乙 中余笹橋】 を殘して橋はほゞ全滅に近い状態でありますので、如何に凄い被害だつたのか思ひ知らされます。 素敵な橋が見られて良かつたでありますが、一寸、複雜な心境に成つて仕舞ました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |