那須町湯元 苦土橋【二】

2681年 5月 11日 探訪

 此方は 【那須町湯元 湯川橋】 依り五キロ程栃木縣道十七號線を那須嶽方面へ進んだ所、 【那須町湯元 紅葉橋】 依り苦戸川を二キロ強程上つた所であります。
 其現在の橋の袂に、廢道と成つた舊道跡が御坐います。
 現道の反對側を覗けば、此方は戰前からの所謂舊々線形跡が殘つて居ります。
 扠、では目當の舊線形跡を進みます。

 廢道歴は卅年以上なのは確實でありますが、未だ未だ道の姿の儘に殘つて居ります。
 斯樣に舖裝が未だ殘つてゐるからでせうかね。
 其でも橋に近い所は隨分と笹に侵食されて居りますが。
 橋の正面、でありますが可也自然に還り始つて居ります。

 事實左、上流側の高欄は見え無く成つて居りますし。

 扠、ぱつと見は昭和四六、七年頃のガアドレイル高欄の橋と云ふ感じでありますが、其實如何でせうか。

 不取敢此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。
 苦土橋。

 縣道同士で同樣の橋名に成つて居りますが、 【那須町高久丙 苦土橋【一】】 側の栃木縣道三四四號線が縣道に指定され度のが平成八年でありますので、まあ、現役時代には重複してゐ無かつたと云ふ事なのでせう。
多分。
 苦土川。

 苦戸川の河川名の變遷はアレでありますが、此方の古風な袖ビイムが素敵でありますね。
 高欄は昭和四六、七年頃に良く見る物であります。

 では左岸側へ移動致します。
 横から見ました處、此方は牀版橋でありました。

 ガアドレイル柱は元からの物の樣でありますので、一度交換されてゐるのかも知れません。
 昭和卅九年九月竣功であります。

 "縣"と正字體なのが良いでありますね。
 して、現道から見ますと橋が在る樣には見えません。
 此舊線形は橋の竣功と同時施工であります。

 因に、航空冩眞を頼りに致しますと、舊々橋は現橋と同一地點に架橋されてゐた樣であります。
 して、此方橋を渡つた先がやゝこしいのでありますが、不取敢右手に見える細い道が先代の線形でありまして、先々代は現道邊の位置だつた樣であります。

 渡河して直に上に分岐する道も在つた樣でありますが、其痕跡は不明でありました。
 因に、現在の"苦戸橋"でありますが、航空冩眞を頼りに致しますと、昭和五一年以降平成元年迄に建造された樣であります。

 して、此方も牀版橋でありますね。

 殺生石から上は開發の歴史なのでせうが、色々と道が入組んでゐると云ひますか、彼方此方に舊道の痕跡が在るのでありますが、 不取敢此方は比較的見易い處で良かつたであります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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