那須町湯元 紅葉橋

2681年 5月 11日 探訪

 此方は 【那須町湯元 湯川橋】 依り二キロ弱程栃木縣道十七號線をつゝじ吊橋方面へ進んだ所、 【那須町高久丙 苦土橋【一】】 依り苦戸川を七キロ弱程上つた所に架る橋であります。

 まあ見事に如何にも昭和卅年代の橋と云ふ橋でありますが、其實如何でせうか。

 と云ふ子事で、此方右岸側から見て行き度いと思ひます。
 湯川橋同樣緑青吹捲りで近寄無いと銘板は判讀不能であります。

 【那須町湯元 近光橋】 に通じる意匠の親柱から、同世代なのは間違無いでせう。
 紅葉橋。

 中々素敵な字體であります。

 因に讀みは「モミヂバシ」であります。
 橋歴板を見ますと、昭和卅九年六月竣功でありました。
 併しまあ、實際。呵呵
 苦土川。

 之、若かして發注者首長の直筆から作られた銘板でありますかね。

 併し、何時頃から苦戸川→苦土川→苦戸川と變はつたのでせう。
或る意味苦笑しか出ませんよ。
 高欄は混凝土管を三本使用しました意匠であります。

 併しまあ、良く地覆の補修だけで高欄は更新され無かつたなと思ひました。
 排水桝は更新されて居りました。

 では左岸側へ移動致します。
 湯川橋同樣元々は洗出仕上では無かつたと思はれますが、火山瓦斯の影響なのでせうね。
 紅葉橋。

 矢張左岸側は若干状態が良い樣であります。
 とは云へ無い、か。
 苦土川。
 橋歴板用の凹みだけが有つたのを、後年に成り埋たのでありますかね。
 横から見ました處、混凝土T字、之はRCT桁でありますね、でありました。
と云ふ事で、拙の大好物であります。

 因に、舊橋の痕跡は分りませんでした。

 那須地域の觀光開發で擴幅され新造された橋でせうか、景觀的にも良く似合ふ橋だと思ひます。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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