壬生町下稻葉 雷電橋

2681年 3月 23日 探訪

 此方は 【壬生町下稻葉 昭和橋】 依り四百米程下つた處に架る橋であります。

 ぱつと見は昭和橋同樣の物に見えますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で、此方右岸側から見て行き度いと思ひます。
 昭和橋から致しますと川幅も廣く成つて居りますから、橋脚が有るのも納得の橋長であります。

 一番の違ひは橋脚が尖頭型では無い處でせうか。

 えゝ、手荒く殘念であります。
 下流側を見ますと、右岸側の翼壁、と呼んで良いのか如何か、が其儘護岸に成つてゐる樣な處が特徴でせうか。

 矢張中央部に扁額の樣な部分が有りますので、何か記名されてゐれば良いのでありますが。
 雷電橋。

 雨冠の書方が戰前的でありますが、左書でありますし、何依も楷書的で、昭和橋の罫書を丁寧に彫れば斯う成ると云ふ樣な感じの字體であります。
 と云ふ事で、も一度上流側を見てみます。

 矢張扁額部分が御坐いますね。
 うゝむ、光線の關係で手荒く讀辛いでありますが、何と無く"雷電橋"と彫られてゐる樣に見受られます。
 【上河内村冬室 上町橋】 の樣な事が有るかも知れ無いと思ひ、下から見てみました。

 まあ、さう云ふ事も無く普通に牀版桁と云ふだけでありました。
 右岸側も同樣でありました。

 扠、竣功年でありますが、多分昭和橋同樣昭和廿四年以降昭和卅五年迄と云ふ處でせうか。
字體から、若かすると戰前かも知れ無いと最初は思つたのでありますが、矢張右書では無く左書でありますので、其竣功時期で良いのだらうと思ひます。

 まあ、其でも 【壬生町下稻葉-都賀町家中 雷電橋】 の直傍と云ふ事も有り、矢張雷電信仰の地なのだなと云ふ事が分つた事が良かつたであります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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