栗山村湯西川 赤倉橋

2680年 9月 22日 探訪

 此方は 【栗山村湯西川 鳥追橋舊橋跡】 依り一キロ程栃木縣道二四九號線で舊道側を湯西川温泉と云ふか黒部方面に進んだ處、湯西川に架る橋であります。
まあ、丁度現道では高房トンネルの左側と云ふ所であります。

 して、ぱつと見、何處から如何見ても 【黒磯市高林 熊川橋】 の樣に昭和卅年代物件と云ふ感じでありますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で此方、左岸側か見て行き度いと思ひます。
 湯西川。

 上で書いた熊川橋の樣に、如何にも昭和廿年代や卅年代を象徴する意匠の親柱に、矢張 【黒磯市板室 幾世橋】 の樣な堂々とした字體が、如何にもな年代を彷彿させて居ります。
 赤倉橋。

 橋名の由來は分りませんが、結構近くに高倉山と云ふ山が御坐いますので、若かしますと其關係や温泉で水質が酸性を示しているからとか、其な關係でゞせうか。
 高欄はガアドレイルに更新されて居りますので竣功當時の面影は皆無でありますが、元の姿は 【某ストリイトビウ】 にて確認出來ます。

 では右岸側へ移動致します。
 昭和三十七年三月竣功。

 矢張さう云ふ年代の物件でありましたね。
 見辛いので接冩致しました。

 良い字體であります。
 あかくらばし。

 と書いても讀めませんね。呵呵
 之で何とか讀めました。
 横から見ました處、とは云へ可也急峻な地形の爲目視はして不居、手を伸して冩眞機だけ出して何枚か撮影して見たのでありますが、一徑間の鈑橋でありました。
年代を考へますと、斯樣な形態の鈑橋としましては隨分と"走り"の頃の物なのでは無いでせうか。

 併しまあ、前後の道路は最早ほゞ廢道に近い状態なのでありますが、何故か此處迄整備が行屆いてゐるのが不思議な位の物件でありました。
でありましたら竣功當時の姿の儘でも良かつたのでは無いか共思つたのでありますが、上記の某ストリイトビウを見ますと地覆が手荒く痛んで居りましたので、 だつたらしつかりと更新した方が良いと云ふ判斷での事だつたのでせうかね。

 まあ、不取敢大好きな姿の親柱が見られましたので大滿足でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

戻る