2679年 7月 15日 探訪
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此方は
【黒磯市百村 木の俣橋 【一】】
依り一キロ半程北進した處、那珂川に架る栃木縣道二六六號線の橋であります。 栃木縣道二六六號線と云へば鹽那スカイラインで有名でありますが、實際、道路は通行出來てこその物でありますので、不通區間依り短いでありますが、 此處等邊から湯元迄の區間も良い眺望が樂しめる高原道路と云ふ感じで素敵であります。 今は無料に成つて居りますから尚更でありますがね。呵呵 閑話休題 扨此方、ぱつと見には今時の高欄なので新しいと思ひきや、立派な親柱が其也の年代の橋だと主張してゐる樣でありますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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那珂川。 昭和廿年代から卅年代末頃迄流行致しました意匠の親柱が素敵でありますし、銘板の字體は昭和卅年代後半から四十年代迄に流行した姿に見えますので、 大凡昭和卅年代後半頃の橋でせうか。 |
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幾世橋。 此銘板一杯に收める字の大きさが其時代を感じさせて呉れますね。 |
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高欄は後年に成つてから交換された物でせう。 如何見ても親柱側と地覆の高さが揃ひませんので。 多分、元々は混凝土管を二本、若くは混凝土板を二、三枚使用しました意匠だつたのでは無いでせうか。 嗚呼、若かしますと鐵柵の樣な高欄だつた共考へられますね。 |
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横から見ました處、鈑橋でありました。 と思つたのでありますが、「ハシ」なのか「バシ」なのか調べてゐた處、實は鋼逆臺形箱桁だと分かりました。 成程、年代物と考へますと一徑間が長い割には桁の厚味は其程でも無いでありますので、さう云ふ事なのでありますね。 |
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排水桝。 では左岸側へ移動致します。 |
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何かですね、橋臺が結構複雜な造形に成つてゐるのであります。 |
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左岸下流側に橋歴板が附て居りました。 昭和卅七年八月完成であります。 |
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那珂川。 銘板が左右兩岸で對稱でありますね。 |
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幾世橋。 來るよ、とは下手過るので云ひませんよ。 |
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其袂には架設記念碑が御坐いました。 苔で中々に判讀困難だつたのでありますが、如何やら元々此方は木造吊橋だつた樣でありまして、補修云々でアレなので架替に至つたと云ふ事の樣であります。 して、其木造吊橋でありますが、大正十二年に架けられた物の樣であります。 まあ、其なら補修も大變だつたのは想像に難く無いであります。 成程、良い物見られて良かつたであります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |