黒磯市百村 木の俣橋 【一】

2679年 7月 15日 探訪

 此方は栃木縣道卅號線と栃木縣道三六九號線、通稱板室街道の交はる戸田交叉點から五キロ程板室方面に進んだ處、木ノ俣川に架る橋であります。
も少し簡單な説明を致しますと、板室温泉の二キロ程手前、若くは鹽那スカイラインや深山ダムへ行く分岐の手前と云つた處でせうか。

 其は扨措き此方、如何見ても新橋が架けられたので舊道落ち、と云ひますか歩道扱ひに成つた橋でありますが、まあ、如何見ても自動車同士の擦違ひは不可能でありますから、 致し方無しと云つた處でありますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。
 昭和35年3月竣功。

  【桂村赤澤-御前山村野口 那珂川大橋】 にも通ずる立派な親柱が特徴的でありますが、流石に其依り十年は新しい橋、造形が依り近代的な意匠に成つて居ります。
 きのまたばし。

 流石に竣功後六十年も經ちますと、立派な木が生えて來ますね。

 と云ひますか、橋臺の隙間からでありますよね、橋臺は大丈夫なのでせうか。
 高欄は混凝土管を二本使用しました、正に昭和卅年代と云ふ意匠であります。

 して、さうさう、路盤は緩く弧を描いて居りますので、如何しても橋臺附近に土が溜り、見事に濕地帶の樣に成つて居ります。

 之、普通の靴で來てゐる觀光客の人には酷な状況でありますね。
 桁の繼目でも無い處で高欄が分割されて居ります。
若かして拱橋でせうか。

 併し綺麗な所であります。
と思ひましたら、木の俣溪谷と云ふ景勝地なのでありますね。
 路盤は結構痛んで居りますが、人道橋としては無問題と云ふ程度でせうか。

 して、健在では之、多分水道管てせうか、が通されて居ります。

 では左岸側へ移動致します。
 して、何と無く舊橋は上流側に在つたのでは無いかなと思ひ見た處、見事に橋臺が殘つてゐるでは御坐いませんか。

 とは云へ、此方は後程見るとして、不取敢此方の取材を終はらせると致しませう。
 きのまたがわ。

 此親柱は手荒く良い状態でありますね。
綺麗にすれば丸で竣功當初の樣な姿に成るのでは無いでせうか。
 流石木の俣、植生が豐か、つて、違ひますね。呵呵
 木の俣橋。

 一寸「の」の位置が見辛いでありますが、片假名では無く平假名でありました。
 横から見ました處、何と美しい充腹拱橋でありました。

 今迄に何本か拱橋を見ましたが、充腹式は初てであります。
 扨、先代橋でありますが、成程道理で、何か舊線形が此方の橋依りも外側にも向つてゐるなと思つたのでありますが、さう云ふ事だつたのでありますね。
 して、此が右岸側の橋臺でありますが、當然の樣に此方依りも低い状態であります。

 一見しますと混凝土造の樣にも見えますが、何か違ふ樣にも見え無くも無いであります。
 左岸側の橋臺を路盤側から見て見ましたが、不取敢幅員は此方依りも狹い樣であります。
 横から見ました處、何と石造の橋臺でありました。

 と云ふ事は、大正から昭和一桁頃迄の物件だつたと云ふ事で良いのでせうか。
川牀に橋脚の痕跡は皆無でありますし、支承が附位置から路盤迄の距離が結構有る事から、若かしますと木造トラス橋でも架つてゐたのでせうか。
と思ひ少し調べて見ましたが、何の資料も出ては來ませんでしたが、唯、昭和廿二年と廿七年の航空冩眞で其姿が確認出來ると云ふ程度であります。

 ま、其は扨措き、普段通過して仕舞場所でありますが、改て見た處、手荒く良い發見が出來て大滿足でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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