今市市小百 さんじんばし(漢字不明)

2680年 9月 1日 9月 15日 探訪

 此方は 【今市市瀬尾 名稱不明橋ト洗越】 依り三キロ弱程栃木縣道二四五號線を北上した處、名稱不明河川に架る橋であります。
まあ多分河川全長からして何等かしらの澤名は附てゐると思はれるのでありますが、不取敢地圖に表記は御坐いませんでした。

 扨、ぱつと見ろに如何見ても如何にもな年代、昭和卅年代と思はれますが其實如何でせうか。

 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。
 質實剛健な、如何にも昭和卅年代から四十年代と云ふ感じの親柱であります。

 併し結構な規模の橋だと思ふのでありますが、此規模で銘板が無いと云ふのも中々であります。
 此方には銘板は附てゐたのでありますが、手荒く殘念な事に半分程消失してゐる上、書かれてゐた文字も消えて居り、如何見ても判讀出來ませんでした。

 若かしますと、多分でありますが 【河内町白澤 萬年橋】 の樣に片側に漢字で橋名と竣功年が記されてゐたのでは無いでせうか。
 高欄は鐵管を二本使用しました意匠であります。

 鐵管を主に使ふのは昭和四十年代と云ふ感じでありますが、 【鹽原町金澤 堰場橋】 の樣な柱の細さを感じますので、多分同年代と見て良いのでは無いでせうか。

 其と、右岸側は線形の關係で廣く成つて居りますね。

 では右岸側へ移動致します。
 此方側にも銘板は御坐いませんでした。

 何か奧に道が續いてゐる樣な感じでありますね。
て、其が舊線形の跡なのでありますが。
 さんじんばし。

 又手荒く難解な状態で困惑致しましたが、光線の具合を見計乍觀察致しました處、「さんじんばし」と確認出來ました。

 と云ふ事は、左岸側には漢字表記が有つたと見たのでありますが、是が何處を調べても橋名が出て來ませんで、殘念至極でありました。
 横から見ました處、右岸側の短い桁は牀版橋、奧は混凝土T字桁でありますね。
 左岸側からT字桁を見ました。

 扨、竣功年でありますが、航空冩眞を頼りに致しますと、昭和廿七年以降卅八年迄に架橋された樣であります。
且つ、全體の特徴から推察致しますと、上記の二本の橋の樣に昭和廿年代末頃から卅年代初頭頃と見て良いのでは無いでせうか。
 其では舊橋跡を確認に行きませう。

 此方の林道を少し上つた處、多分平坦に成つてゐる邊か其手前邊に架橋されてゐた樣であります。
 豫想する渡河地點邊から右岸側を見てみました。

 正面邊で路盤は無く成つてゐる樣でありますし、其手前迄は石積の護岸が御坐いますので、橋臺は撤去若くは崩落してゐると見て良いのだらうと思ひます。
 砂防堤の前に混凝土構造物の樣な物が御坐いますので、多分、若かしますと橋脚跡か橋臺の殘骸でせうか。
 右岸側の、多分此邊に橋臺が在つたであらう邊に來て見ましたが、痕跡は發見出來ませんでした。

 航空冩眞以外何も參考に成ら無かつたのでありますが、まあ情報が無くでも中々に良い物が見られましたので滿足でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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