2680年 9月 1日 探訪
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此方は
【今市市瀬尾 滑川橋】
依り六キロ弱程栃木縣道二四五號線を北上した處、大井澤に架る橋であります。 【鹽谷町玉生 宮橋】 や 【益子町下大羽 大羽橋】 、 【今市市倉ケ嵜新田-倉ケ嵜 古大谷川橋】 の樣に大體此銘板が附てゐる橋は戰前物件、中には 【鹽原町中鹽原 時ケ嵜橋】 の樣な例外も御坐いますが、其は高欄を見れば一目瞭然でありますのでアレでありますので、まあ今迄見て來た物は先づ間違無く戰前物件でありました。 でありますし、如何見ても戰前物件其儘に色々改修されてゐるのだと思はれますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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大井沢。 親柱と云つても大人の膝下程度の高さでありますので、樣式に從つて作つたと云ふだけに見えて仕舞ます。 して、まあ此銘板は昭和四十年代に成つてから設置されたのでせう。 良く見ますと銘板の下側、不自然な混凝土の部分が御坐いますから。 でもまあ、多分に物資供出で消失した銘板を復活させたと云ふ昭和四十年代當時の意氣込は感じます。 新字體の漢字を使用すると云ふ點でもね。 |
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大井橋。 でありますので、竣功當時は何處に何の銘板が附てゐたのか迄は不明な儘取附られて居りますので、欲しい情報が全て得られるとは限ら無いのが玉に瑕であります。 |
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舖裝が盛大に盛られて居りますので、高欄が如何云つた意匠なのか、路盤側からでは何共云へません。 舖裝だけで耐荷重如何なのだらうとか餘計な事を思つて仕舞ますが、戰前物件は永久橋なので心配は餘無いのでせう。 多分。 では左岸側へ移動致します。 |
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最早柱とは呼べ無い状態であります。 |
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當然銘板の有無も、と思ひましたが、辛うじて此方左岸側には附てゐ無い事だけは確認出來ました。 と云ふ事は、之だけの舖裝の盛方、銘板附の前か同時進行で行はれたと云ふ事なのでせうかね。 |
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横から見ました處、是は
【黒羽町黒羽田町-前田 下高橋】
や、同じ今市々内では
【今市市室瀬-吉澤 荒神橋】
と同樣見事な戰前型の混凝土T字桁でありました。 と云ふ事は、調べても不明でありました竣功年なのでありますが、大凡昭和十年前後の物で間違無いのでは無いでせうか。 併しまあ、斯樣な戰前物件が現役で供用されてゐると云ふのは中々に貴重でありますし、何か出會へた事に嬉しく成つて仕舞ました。 と云ふ事で、良い物見られて大滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |