鹽原町中鹽原 時ケ崎橋

2677年 6月 20日 探訪

 此方は 【鹽原町中鹽原 千古橋】 依り目と鼻の先、百米弱程東側に架る栃木縣道二六六號線、通稱鹽那道路の橋であります。

 鹽那道路、鹽那スカイラインは道路系有名處樣もレポウトして居りますし、何かと有名でありますので詳しくは記しませんが、 此方は工事開始が昭和卅九年からでありますので、可也早期に竣功した物件に成るかと思ひます。

 と云ふ事で此方、右岸側依り見て行きます。
 昭和四十年三月二十五日竣功。

 と書いて有るのでありますが、是がほぼ判讀不能状態でありました。

 所謂琺瑯引と云ふか塗裝されたと云ひますか、さう云ふ物の上に塗料で文字が書かれてゐる型の銘板なのでありますが、最初は良いでありますよ。
但し年數を重ねると斯樣に成つて仕舞と云ふのは、材料の選定が間違ひだつたと云はざるを得無いのでは無いのでありますかね。

 唯、奇しくも斯樣な銘板が斯う云ふ年代に製造されてゐる物だと云ふ事が判明し度と云ふ點では、手荒く良い資料だなとは思ひます。
 時ケ崎橋。

 もうね、現地では泣き度く成る位にがつかりでありましたよ。

 辛うじて「時」と「橋」だけは判讀出來ました。
但し其以外、まあ先に書いて仕舞ますが、左岸側の銘板を見たら平假名で橋名が書いて有りましたので何とか推察出來ましたが、 三文字目、「崎」だ何て之で讀める譯無いだらうと一人突込入れて居りましたよ。
 して、之が其其々の銘板なのでありますが、此なの簡單に讀める譯無いと云ひ度い氣持、御分り戴けるだらうか。

 因に、「時ケ嵜」と云ふのは字名の樣であります。
 高欄の意匠は如何にも昭和卅年代的な、混凝土管を二本使用しました物であります。

 是こそ橋と云ふ感じで拙は大好きであります。
 排水桝も同年代の定番と云つた感じでせうか。

 其では左岸側へ移動致します。
 精進川。

 嗚呼、之でも何て讀み易いんだと感動した物でありますよ。

 「進」の字が獨特で、之も變字體と云つて良いのでせうか。
 ときがさきはし。

 最初は鹽那の工事に着手した記念にでも命名され度のかと思ひましたが、後でインタアネツトで調べました處、字名だと云ふ事が分つた次第であります。

 併しまあ、全ての親柱が結構良い状態の儘なのでありますが、或る意味其も鹽那の歴史を如實に表してゐる樣だと思つた次第であります。

 併しまあ、結構な斜橋具合であります。
 横から見ました處、拙の大好物の混凝土T字桁でありました。
良いでありますね。

 併しまあ、此方はもう此儘でずうつと殘つて行く物件だらうと思ひますが、鹽那の歴史が風化し無い樣に何時迄も見守つてゐて欲しい物件だなと思つた次第であります。

 まあ、一番は此型の銘板が作られた年代判定の好例だつたと云ふ事でありますが。呵呵

 因に、先代の橋は御坐いませんので「嵜」は現代の字體「崎」で基本的に橋名は表記致しました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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