粟野町深程 清洲橋

2682年 2月 1日 探訪

 此方は 【壬生町下稻葉-都賀町家中 雷電橋】 依り八キロ五百米程思川を上つた所に架る、栃木縣道三百七號線の橋であります。

 一見して 【栃木市柳原町 保橋】【壬生町羽生田-七ツ石 黒川橋ト舊橋跡】 と同系統の橋かと思はれますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。
 昭和廿年代から四十年代に掛て長大橋に良く見られる形状の親柱であります。

 一寸銘板は見辛いでありますね。
 きよすばし。

 「ば」の濁點が申譯程度に附てゐるのが可愛らしいであります。
 此方の方が親柱の形状が分り易いでせうか。

 と云ひますか之、可也凝つた意匠でありますよ。
 昭和34年3月竣功。

 矢張一連の思川、黒川の橋と同世代でありました。
 高欄は上部に混凝土管、下に鐵管を二本使用しました意匠であります。

 若かしますと、保橋や黒川橋も元々は斯樣な意匠の高欄だつたのでせうか。

 では右岸側へ移動致します。
 全親柱に反射鏡が附てゐると云ふ事は、親柱に打當る事が多いと云ふ事でありますかね。
 小倉川。

 出た、遂に出ました。
さうしてやつと出會へました、"小倉川"の銘板であります。

 いやあ、斯うして殘つてゐて呉れて有難うと云ふ感じでありまして、手荒く感激致しました。

 因に、讀みは「オグラガハ」なのでありますね。
 清洲橋。

 喜びも一入でありましたが、此方は新しい銘板に成つて居りました。
 横から見ました處、八徑間のPCT桁でありました。

 橋脚、梁部は元の儘の樣でありますが、基礎部分の補強具合が保橋、黒川橋同樣に施工されて居ります。

 思川系の河川は一度水が出ると、其だけ凄い事に成ると云ふ事でありますかね。
 左岸側へ戻り乍橋脚を見ました。

 型枠跡が素敵であります。
 PCTの主桁は五本であります。

 此方にも馴染の施工業者の銘板が附て居りました。
 ピーエス・コンクリート株式會社 施工。

 RCTからPCTへの技術の轉換期の橋が思川や黒川には多いと思ひまして、其一本を斯うして見られて大滿足でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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