氏家町上阿久津-馬場 國道四號舊道(陸羽街道) 【其三】

2673年 8月 20日 探訪

 【其二】からの續きであります。

 【現在地】

 はい、舊道は川岸(カシ)交叉點を右折であります。

 扨、此處は元々宇都宮方面から來て右に折るだけの曲角だつたのでありますが(鬼怒川河川敷方面からの小徑も接續してゐたので、一應三叉路ではありますが)、 昭和卅六年から卅八年の間に氏家驛の西側を通るバイパスが完成し、現在の樣に緩く曲る線形に變り、 昭和四十二年頃には、幅員が違ふ程度で現在の交叉點と同樣の姿に成つた樣であります。

 併し此處、信號が變つても横斷歩道何かで渡るのは手荒く怖過ぎますので、拙は歩道橋を利用致します。

 では、歩道橋の方へ行きませう。
 此位置からの寫眞でありますと、何と無く元の線形が見えて來るでせうか。

 奧の舊道から眞直ぐ線を引いて來ますと、下り車線を横切り上り車線側に來るのであります。
其が本來の線形である事が判明致しますのは、手前側の電柱の立ち位置でせうか。
歩道に寄添ふのでは無く、不自然に奧まつてゐるのが御判り戴けると思ひます。

 個人的に印象に殘つてゐますのは、左手の料理屋さんの駐車場の入口、嘗ては道路の高さからしますと不自然な位に高低差が在り、 舊路盤に關係したであらうと思しき白線が殘つてゐた樣な氣がし無いでも無いのでありますが、もう其痕跡は無く成つておりますから何共云へ無いでありますね。
 さう、此處からでありますと側溝の曲り具合で元々の線形が如何だつたかと云ふ事が分ると思ひます。

 何か、もう今や完全に別物と云ふ感じでありますね。

 して、何故に歩道橋の支柱の邊の土地が柵で圍つて有るのかは謎であります。

 何氣に市町村名がアレでありますので御樂しみ下さいませ。
 序に、氏家市街地方面の冩眞も撮つて見ました。

 現在では東北本線とは立體交叉に成つて居りますが、其が完成し度のは昭和五十年頃でしたでせうか。

 何と云ひますか、歩道橋上から撮れば嘗ての樣に平面交叉に見え無くも無いかなと思つたのでありますが、餘りアレでありましたかね。
 何と無くでありますが、未だ踏切だつた頃に通つた事有るの、朧氣乍覺えてゐるのであります。
當然今の樣な遮斷機では無く、注意を促す板が附た鐵索が上から降りて來る、昔乍の第一種踏切だつたと思つたのでありますよ。
と云つても分り辛いと思ひますが、さう、某私鐵竹ノ塚驛のと似た樣な、と云へば何と無く傳はるでせうか。

 して、側道部分が、確か工事中の迂囘路だつた筈であります。

 では、踏切時代の痕跡探しにでも行つて見ませうか。
 扨、と云ふ事で卅年振り位にじつくりと見に來ました。

 線路側の高欄と云ふか防護壁と云ふか、塊團を積んだ樣でありますのが珍しいと云ふか今や古風と云ふか、少し時代を感じさせる意匠でありますかね。
其に謎の補修なのか何なのか、金枠に金網が附てゐる樣にも見える物の正體は不明であります。

 嗚呼、でも斯うして見ますと、ボツクスカルバアト的な構造で道路とは直交し、線路は若干斜めに載つてゐる、と云ふ具合なのでありますね。

 因に、前に見える桃色の建物は、立體交差の排水機場であります。
 まあ當然なのでありますが、踏切の痕跡は殘つて居りませんでした。

 若しやさうなのかなと思しき物は、白色に塗られた線路が縱に刺さつてゐる部分が、當時の路盤との境界を表してゐるのかなあ、と云ふ程度でせうか。
でも其だと角度的にも合ひませんので、矢張もう無い、と云ふ處でありますね。

 嗚呼、も一度昔乍の第一種手動踏切渡り度いなあ。
と云つてもアレでありますから、先に進みませう。
 と云ふ事で立體交叉の部分であります。
此處が立體交叉に成りましたのは、東北本線が複線化されたのと、國道の交通量の増大からだと思ひます。
其と、確か踏切事故が有つたからだと云ふ事も、出來た當初に聞いた樣な記憶が微かに有るのでありますが。

 因に、完成當時は最深部の中央にのみの排水桝だつたのでありますが、其後の改修で兩脇からも排水する樣に成つた樣であります。

 其主な理由なのだと思ふでありますが、以前麒麟麥酒專用引込線の報告にも書いた通り、此處では昭和五十六年頃、大雨で一氣に水が溜り、 大型貨物車と乘用車の二臺が完全に水沒したと云ふ事が有りました。
幸ひにして皆無事でありましたが、其時、此處が立體交差だと云ふ事が分ら無い位に水が溜まつてゐたのには驚きました。

 まあ、雨天時には斯う云ふ場所は避けるのが無難でありますよね。
 おつと、線路下に工事銘板が附て居りました。
成程、路盤からの高さを示すのは空頭と云ふのでありますね。

 其と氣附ましたのは、斯う云ふ風に道路側を掘下げた場合も、飽迄も橋に分類されるのでありますね。
架道橋と云ふのでありますか、成程。

 其で、協定が昭和四七年と云ふ事は、其頃に着工され、横の1973-9が竣功年と云ふ事で宜しいのでありますかね。
 扨、氏家第三奧州街道架道橋を越えまして先に進みます。

 して、此方の氏家交叉點で右側がら合流て來るのが奧州道中であります。
此處で合流して氏家の宿を通ると云ふ譯でありますね。
 と云ふ事で此處を左折致しますが、此交叉點は元々丁字路だつたのでありますが、今や國道二九三號バイパスが眞直ぐ東に拔けましたので、 昭和五十年代半ば頃に現在の樣な十字路に成りました。

 其と、建物も色々と樣變りして仕舞ひまして、嘗ての面影はほぼ皆無に成つて仕舞ひました。


 【最終囘】に續く。

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