氏家町上阿久津-馬場 國道四號舊道(陸羽街道) 【最終囘】

2673年 8月 20日 探訪

 【其三】からの續きであります。

 【現在地】

 扨、是で氏家の宿に入つた譯でありますが、宿場を感じさせる建物は隨分と減つて仕舞ひました。
確か本陣が在つた場所が齒醫者さんだか駐車場に成つて仕舞つた樣な氣がするのでありますが、何か良く分りません。

 さうさう、昔乍の商店の場合、一段路面依り低く成つてゐた處が多く、其が風情を釀し出してゐたと感じたのでありますが、 さう云ふ御店も少く成つて仕舞ひましたね。
 其と、何故なのか其理由が良く分ら無いのでありますが、大抵宿の途中で道が曲つてゐ度りするのでありますが、何故なのでせうか。
宿全體で桝形と成るのは何と無くかるのでありますが、斯う云ふのも何かの用心の爲なのでせうか。

 其に最近のさくら市、と云ふか合併前の晩期の氏家町でもさうなのでありますが、何故に街燈に附てゐる地區名の樣に本町や新町等とせず、 全て大字氏家にして仕舞つたのかが大いに疑問なのであります。

 昔乍の呼稱の町毎に分けると、何か不都合でも有るのでせうか。
 氏家驛東入口交叉點であります。

 此方の交差點、嘗て明治時代には人力軌道が横斷してゐたのでありますが、當然の如く最早其痕跡は御坐いません。

 唯、如何やら左手氏家驛前から丁度手前の横斷歩道邊に出て來る小路がさうらしいのでありますが、其意外の部分の痕跡は無いに等しいと思はれます。

 併し此處から遙か喜連川の街中迄、而も人力で行つてゐたと云ふのでありますから恐れ入ります。
 【現在地】

 此處が交通の要所の上町交叉點であります。

 右折しますと奧州道中、其奧州道中を進み五十米程で左折するのが會津西街道、又其先六十米程で左折するのが原街道でありまして、 此處を其儘直進するのが舊國道四號であり、新陸羽街道であります。
さうして、元々は此處を右折する奧州道中が國道二九三號指定でありました。

 地圖を確認して戴けますと幸甚なのでありますが、此方から左手に在る琴平神社の所から分岐してゐるのが、以前に書きました 【小倉街道】であります。

 其と、五行川が一本の河川に成りますのも此近邊からであります。

 【此方】の動畫が詳しく解説して居られますので、御參考迄に。
 舊街道同士が交叉すると云ふ、實に贅澤なさくら市役所前交叉點。
右手の駐停車禁止路側帶側から出て來まして、斜め左手方面に向ふのが會津西街道であります。

 併し新陸羽街道との角度がアレの爲、實に長い距離の交叉點に成つてゐるのが難點と云へば難點でせうか。

 事實、左手の會津西街道から進行して來た車が、何を勘違ひしてゐるのか横斷歩道手前で停車して仕舞ひ、周圍の迷惑に成つてゐる事が此處數年で多發して居ります。

 と云ふか、さう云ふ事つて何も見ないで運轉してゐるのでせうかね。
如何見ても路面に停止線は無いのでありますが。

 因に、元々は會津西街道だけでありました處に、三島通庸に因り新に新陸羽街道が出來て仕舞つた爲、哀れ家が削られて仕舞つた所が數軒在るさうであります。
 後はほぼ直進するのみであります。

 因に、此處は十數年前迄は混凝土舖裝が殘つて居りました。
もつと云ひますと、昭和五十年頃迄は上記の交叉點近邊迄混凝土舖裝の儘だつたのでありますが、染込む舖裝に改修されました。

 混凝土舖裝の方が耐久性は高かつたのでせうが、騒音とか雨天時に滑り易いとか、アレとかアレとか、色々と大人の事情を内包しつつアレなのでの結果なのだらうと思はれます。
 如何でも良い事でありますが、丁度此方の學校の校門前が、嘗ての青東驛傳の中繼所でありました。
 何氣無い存在が貴重だつたりすると思ひます。
當り前の小さな用水堀の橋と其轉落防護柵でありますが、實は結構な年代物ぢや無いかと思ふ代物かも知れません。

 多分、五十年近いか其以上前の物では無いでせうか、之。

 因に、此處も五行川の支流と云ふか、上流部の一つであります。
 扨、そろそろ現道との合流であります。

 併し氣が附けば田圃は大型商業施設に。
警察署も街中から此方に移轉であります。

 右手、眞直ぐに進んで行く電信柱の列が壯觀であります。
 此方馬場北交叉點で合流であります。

 現在では直交が基本でせうから斯う云ふ具合に成つて居りますが、嘗ては上下線共眞直ぐ合流してゐました。
左折合流が一時停止のみだつたのでありますが、流石に今ではアレでありますので斯う云ふ具合に改修でありますね。

 して、元の道は町道の合流用にされてゐると云ふ處でありまして、嘗ての面影は御坐いません。

 唯此方、現道とは接續し無くて正解だと思ひます。
間違ひ無く不躾共が暴走して來て事故が頻發した事だらうと想像に難く無いでありますから。
 扨、合流地點であります。

 併し此處、斯う云ふ景色に成るとは想像出來ませんでした。
直ぐ先の交叉點も元々は丁字路でありました上に信號が無かつたでありますし、近年に成つて饂飩屋さんが角に出來て居りましたのに、 撤退したと思つたらあつと云ふ間に更地に成り、今ではコンビにに成つて仕舞ひました。

 併し、交通の便は良く成つたのでせうが、皆制限速度つて知つてゐるのだらうかと訊き度く成る樣な手荒い流れでありますので、 拙は餘程の事が無い限り自動車では走ら無い道に成つて仕舞ひました。

 まあ其も幹線道路の役割なのでせうからアレでありますが、變遷度合が分り面白かつたであります。

 併し氏家地内、國道四號のバイパスが曲々としてゐる珍しい處でも有るのでは無いでせうか。呵呵

 以上、御附合有難う御坐いました。

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