宇都宮市徳次郎町-田野町 國道二九三號舊道ト前身ニ當ル道 【其五】

2673年 10月 7日 11月 18日 探訪

 【其四】からの續きであります。

 【現在地】

 此處で見ますと、舊線形が如何云ふ具合に進んで行くと云ふのが御分り戴ける事と思ひます。

 さう、合流して進むと云ふ依りは、淺い角度で交叉してゐる、と云ふべきかも知れません。
 と云ふ譯で、現道と合流した部分から百米強程で、今度は完全に分岐致します。

 でありますが、此處も御約束通り道路自體は直交する樣に改修されて居ります。
 【現在地】

 と、舊道を進む前に、其以前、所謂舊々道部分を見て行く事に致しませう。

 前囘での新里町(につさとまち)交叉點から西進致します事二百米程度、此方の押釦式信號機の有る交叉點を左折するのが舊々道に當るであらう道であります。

 と云ひますか、明治時代の地圖を見ますと、元々は縣内各地から宇都宮へ向ふ道が主流でありまして、其以外の横の繋りの道つて餘り重視されてゐ無かつた樣な感じなのであります。

 如何にも此方、新里街道が一區切の樣な感じでありますので。

 と云ひますのも、GHQの航空寫眞でも件の明治時代の地圖でも、如何繋がつて何の道筋で大谷、鹿沼方面へ向つてゐたのか、はつきりと判別するのに惱んだからであります。
其がはつきりと道が結ばれたと感じましたのは、昭和卅六年の航空寫眞からでありましたから、斯樣な感想に至つた譯であります。
 其は扨措き進みませう。

 流石昭和卅年代以前の仕樣、徳次郎手前迄の舊線形部分と同樣に、完全に自動車一臺分の幅員であります。
之で對向車が來てゐまたら、拙は土手に避けるしか無かつた程であります。

 とは云つてもまあ、其以前に自動車が來るとは思へませんので、別段何の問題も無いのでありますがね。呵呵
 嗚呼、素敵な線形であります。

 察するに此處、電氣だけでは無く、舖裝の切目から致しまして、ちやんと水道も通つてゐるのでせうね。

 今や其が當り前だと感じて居りますが、其つて實は手荒く凄い事だと思ひます。
其上、蛇口を捻つて出た水が其儘飮めるのでありますもの。
 嗚呼もう、土地の使ひ方が素晴らしく、正に日本らしい光景だと思ひます。
 と、さうしてゐる内に現道と合流、と同時に舊線形部分共合流であります。

 斯うして見ますと、此方側からも舊線形部分に自然に繋つてゐる樣な感じでありますし、 さうして丁度高低差の在る部分の境界の上段部分を進んで行くのだなと云ふのが分ります。

 さう見ますと、舊道部分が現道と直交する樣に改修されたのでは無く、舊々道の合流部分を活かす樣に、或る意味戻されたと云ふ感じに成るのでせうか。
 ね。

 其に致しましても、如何にも舊道と云ふ風情の道は、或種の懐かしさが感じられまして素敵であります。

 さうして、此方も國道指定か其以前の縣道指定の時點で或る程度は擴幅されてゐるのでは無いかなと思はれるのでありますが、 先の舖裝の具合で見るに、何方側の幅員がさうだつたのか、一寸判別は難しいかなと云ふ感じであります。

 まあ、何と云ひましても路肩側が不揃ひなのが"らしい"感じで大好きであります。
 嗚呼、素晴らしき土地の使ひ具合。
左手の塀迄の餘り具合も然る事乍、右手の側溝と側線の曲率が違ふと云ふのも格別であります。

 斯う云ふ部分が當時を偲ばせると云ふか、元々は何方が本來の曲率だつたのだらうと思ひますと、其だけで歴史を感じさせて呉れて大滿足なのであります。

 舖裝の切目が更に元の幅員は何方だつたのかと云ふ雰圍氣を加味して呉れますので、樂しさ倍増であります。

 色褪せた通學路の標識と反射鏡も、風味を添へる良い妻であります。
 嗚呼、多分此方の廣い部分の方が元々の幅員なのでありませうか。

 併し此連續する緩い曲線、道の左右での土地の高低差、實に素敵であります。

 【其六】に續く。

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