上河内村下小倉 國道二九三號舊道

2673年 6月 17日 探訪

 【現在地】

 【氏家大橋】 で鬼怒川を渡河しまして、小倉街道の續きに當る道が此方であります。
多分。

 して、其後線形改良されつつ後年に成り國道指定に成つたのであらうと思はれますが、元々の道筋はほぼ消失して居りますので、 今囘は二九三號指定後の舊道部分を辿らうと思ひます。

 さうして此方、鬼怒川の堤防を降りて直ぐに右に折れてゐましたのが其道筋であります。

 バイパスが出來て以來ほとんど通ら無く成つた舊國道、街道の名殘を殘すであら道の現在は如何成つてゐるのでせうか。

 右手、現道との接續部分の内側に、元々の線形を殘すガアドレイルが草の中に隱れて居ります。
 近寄つて見ますと、現道とは勾配の附方が違ふ樣で、少し高低差が出來て居ります。

 尤も、元々は西進側一本でありましたので緩い曲線だつたと思ふのでありますが、勾配の前後、 若しくは若干の勾配で曲線と云ふのは運轉に不慣な人に取つては食出す要因足り得たのでは無いでせうか。

 では、いざ舊道へ参りませう。
 とは云へ、入つて直ぐに元の道は消失して居ります。

 元々は前方に見える家の直ぐ右側を通つてゐたのでありますが、現道完成後に圃場整備と云ふか區畫整理が行はれてゐる樣でありまして、 痕跡は皆無と成つて居ります。

 辛うじて、斜めに切れた舖裝と、微妙な間合の金網の位置が元々の線形の名殘りと云へるでせうか。
 【現在地】

 新たに出來た道を進み舊道に向ひました處、斯う云ふ具合に本來の線形が現れると云ふか寸斷されてゐると云ひますか、 しつかりと元の線形が分る部分に出會ひました。

 因に、歸りに通つた時には思はず元の道形通りに曲つて行き、田圃に向ひさうに成りましたよ。呵呵
 して、其處から振返つて元の線形の部分を撮つて見ました。

 此近邊で印象深かつたのは、東進してゐた瓦を滿載した貨物自動車が、如何云ふ譯か直線で見事に田圃に落ちてゐたのを見た、と云ふ事であります。

 彼は何だ彼だで結構大變な事に成つたのでは無いでせうか。
 之は何時頃の事でせう。

 少く共平成六年の町制施行(皇紀二六五四(1994)年)以前なのは確かでありますが、多分バイパス完成後、昭和末期頃でせうか。
 嗚呼、何と云ふ事でせう。
新しい道に對して舊國道側が一時停止に成つて居ります。

 同程度の道が交叉する場合、南北が優先で東西が一時停止に成るのが決まりなのでありますかね。
 栃木縣道二三九號線との下小倉交叉點近邊からは下小倉の集落内であります。

 栃木縣道二三九號線との交叉點から西側は、今でも國道二九三號指定であります。

 と云ふか、數字がややこしいであります。
 素敵な線形に良き風景であります。
此左右の土地の高低差が道を通す部分と成つてゐると云ふのが良いでありますね。

 さうして、集落内は標識が示す通り曲々とし乍進みます。
して、其標識の色褪せ具合が良い味はいであります。
 さう云へば、"あの時"の續きとして拙は學生時代黒い學帽を被り度いと思つてゐたのでありますが、悉く廢止されてゐたのにはがつかりでありました。

 戰後はすつかり廢れてゐたのでありますね。

 して、思つたのでありますが、制帽つて格好惡い物なのでせうか、實際。
 【現在地】

 丁度乘合バスの停留所前邊なのでありますが、へえ、此所は氏家街道口つて云ふのでありますか。

 と云ふか、上河内村側は小倉街道では無く氏家街道と云ふのでありますかな。
 此所を大型貨物車等も晝夜不問澤山行交つてゐたのであります。
其はもう、自動車以外で此處を通るのは拙は嫌でありました。
多分皆も一緒だつたと思ふのでありますが。

 バイパスが出來、さう云ふ點では良かつたと思ひますが、まあ何と云ひますか、其以外は何處の街でも一緒でありますね。

 【叶橋】を渡り進みます。
 併しまあ良く曲つて居りますが、鬼怒川と西鬼怒川に挾まれ、丁度互ひの氾濫原だから斯樣に複雜に成つた、と云ふ事なのでせうか。

 西鬼怒川の由來つてアレなのでありますがね。
 左右の土地の高低差も、場所に因つては入替つてゐる樣な期が致します。

 と云ふか、同程度の爲に斯う云ふ線形に成つてゐるのでせうか。
 新幹線が開通して景色が變つた、と云ふ處でせうか。

 元々は三叉路だつた樣でありますが、新幹線が出來た事に因り側道も作られた爲、五叉路交叉點と複雜に成つた樣であります。

 國道二九三號は若干左に折れる樣な直進でありますが、右に折れる道も同程度の道に見えますので、初めての人には難解な處かも知れません。
 結果、結構迷つた人が多いのでせうか。

 從來通りの電球型信號機、隨分少く成つた樣に感じます。

 何か、此儘更新されずに殘つてゐて欲しい氣がし無いでも無いであります。
 此處から先はほぼ直線的に進みます。

 何故なら先程の交叉點の手前、貨物車が冩つてゐる邊から左に折れるのが元々の道筋の樣でありまして、 此方は戰前、多分紀元節前後頃から昭和廿二年迄に作られたバイパスだからであります。

 して、其元の道筋でありますが、未だ辿つて居りませんので、復の機會にと云ふ事にして措く次第であります。
 流石昭和新道、快適な道であります。
 して、現道と合流致します。
勿論、出來る限り直交する樣改修されて居ります。
 其一寸先、舊線形時代から微妙な線形なのでありますが、此處、微妙にシケインに成つて居りまして難しいのでありますよね。
色々と事情が有るからなのだとは思ふのでありますが。

 併し上河内村下小倉内の國道二九三號、平野部でも案外變遷の在る道路だなと云ふ印象でありました。

 初めは多分に軍事的要素も絡んでゐるのでは無いか共思ふのでありますが、其以後のモオタリゼイシヨン等での交通量の増加に對應する爲、 時代と共に隨分と變遷したのだなと云ふ印象でありました。

 其内、未だ見てゐ無い元祖的な道筋も辿らうと思ふ次第であります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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