上河内村下小倉 叶橋

2673年 6月 17日 探訪

 此方は國道二九三號の舊道部、用水に架る毎度御馴染の片側の親柱、高欄を殘して改修された古き橋であります。

 路盤を見る限り幅員的に不足は無い樣にも見えますが、歩道部分を設る爲と、ほんの少しでも幅員、若くは微妙な線形改良の爲に改修されたのでせうか。

 丁度ガアドレイルの邊の部分だけが廣げられてゐるのかなと最初は思つたのでありますが、如何やら中央線邊から廣げられてゐさうな感じであります。

 では此方、左岸側から見て行きます。
 殘念乍此方の銘板は消失して居ります。

 唯、良く見ますともう一囘り大きく混凝土で埋られた形跡が在りますので、元々は大きな銘板が取附られてゐた、若くは直に混凝土に文字が彫られてゐたと云ふ事でせうか。

 併し大變立派な親柱であります。
之だけ立派な親柱でありますので、多分に戰前物件なのでは無いかなと思ふ次第であります。
 現在の線形とは若干違ひますので、後年に成り直線的に改修された、と云ふ事なのでせう。
 斯うして見ますと高欄は八角形に成つて居りまして、實は控目乍も凝つた意匠だなと思ひました。

 舖裝が盛られてゐ無ければもつと素敵な姿だつたのではと思つて仕舞ますが、其は時代的に無理でありますよね。

 平成直前迄、竣功當時では考へられ無い樣な交通量を擔つてゐた譯でありますから。
 用水路自體も道の樣に家の間を流れて居りまして、丸で運河の樣で一寸素敵な眺めであります。
彼の階段から庭の樣に川面が見られるとは素敵であります。

 唯、増水の心配は無いのでせうか。

 では右岸側へ移動致します。
 叶橋。

 琺瑯引の銘板は鹽谷町玉生の 【鹽谷町玉生 宮橋】 と同樣でありますので、 多分戰時中の物資供出での代用品なのでは無いかと拙は推察して居ります。

 と云ふ事は、親柱に琺瑯引の銘板で全てが殘存してゐる橋を見附れば、大凡の竣功年度が判明すると云ふ事でせうか。
 因に、改修された反對側であります。

 多分に中央線近邊から此方側が擴幅された部分だらうとは思つてゐたのでありますが、此舖裝の具合を見ますと、又何共云へ無い雰圍氣であります。

 因に、改修年度は不明でありますが、昭和五十年以降なのは確實な樣であります。

 不取敢、長年に亙り幹線道路として交通を支へた役目、御疲れ樣でしたと云ふ處であります。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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