宇都宮市野高谷町-芳賀町給部 栃木縣道六四號線舊、舊々道 【其三】

2674年 3月 11日 探訪

 【其二】からの續きであります。

 【現在地】

 して、當然の如く此方急坂であります。

 片手ブレエキで寫眞撮りつつ自轉車で下らうと思つた處止ら無い止ら無い、矢張きちんと停止してから撮る樣に致しました。

 と云ひますか此處、馬車の時代に荷物滿載では登る事手荒く困難だつたのでは無いかと推察する次第であります。
 で以て途端に右に折るつて、一體如何云ふ嫌がらせなのでせうか。

 自轉車で勢ひ良く下りて來た場合、之一寸危いかも知れませんよ。

まあ、昔乍の道らしいと云へばさうなのでありますが。

 此處、未舖裝で電柱も塀も木で出來てゐて、標識も舊型でありましたら手荒く素敵だつたと思ひます。

 今時其な景色が現存してゐる處等無いと思ひますが。
 嗚呼、良い感じに集落内の道、と云ふ感じであります。
 して、下り切る寸前で小川を渡り、今度は現道と接續する爲に少し登ら無いといけないと云ふのが何共、大變であります。

 其接續する邊、左手に少し廣がつてゐる用地が舊道時代の道形跡であります。

 因に、小川の橋は此方、 【高根澤町上高根澤 名稱不明橋】 であります。
 直角に近い形で接續する樣に改良されたのは、如何やら此處最近の樣であります。

 西暦2003年の航空寫眞で、現在の姿と同樣なのが確認出來ました。
 此現在の線形は、昭和四三年の航空寫眞では未だ着工もされて居らず、四九年の寫眞では完成して居ります。

 其と同時に區畫整理もされてゐる樣でありまして、田圃も含て隨分と樣變りしてゐる樣であります。

 でありますので、元々此邊は細く折て道は進んでゐた樣でありますが、其痕跡は二つ上の寫眞に見られる少し廣く成つた用地部分と、 此處の何と無く違和感の有る電柱の竝びが嘗て"さう"だつたと物語つてゐる樣であります。
 合流地點から次の分岐迄二五◯米程でありますが、此處で一寸復習。

 電柱の立位置を見れば元々の線形が分ると云ふのは常套手段であります。

 して、話は變り此處なのでありますが、航空冩眞では、元々右側の建物の直傍を通つてゐた樣なのでありますが、痕跡は皆無であります。
 【現在地】

 では現在の分岐點であります。

 綺麗に舊道と分岐して居りますが、二本程、現道側に無理矢理電柱を持つて來た樣な印象であります。

 航空寫眞で見ますに、農地整理もされた樣でありますから斯う成つた譯でせうから、元々は田圃の中を道が通つてゐた物と推察致します。
 ほらね、隨分と横から接續する道路側の方に電柱が立つて居りますもの。

 併し此方は通行區分帶が路面への塗裝、て云つて良いのかな、ペイントだからさうで良いのかな、だけなのでありますね。

 して、合流部分を見るに、一見中央線が有る樣にも見えますが、完全に舊道部分に入りますと、昔乍の道幅が待つて居ります。
 雰圍氣良いでありますね。

 と或る好事家には堪ら無い御寳が待構へて居りますし。

 扨、肝心の道路でありますが、歩道部分が無く成れば完全に昔の姿なのでせう。
其共、本來の道幅は右手部分、三分の二程の廣さだつたのでせうか。

 併しもう、防火壁素晴しいであります。
保存状態も良好かと思はれますし。

 【其四】に續く。

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