2674年 3月 11日 6月 16日 探訪
【其一】からの續きであります。 【現在地】 其一の最後の畫像から走る事二五◯米餘、少し谷間の地形の部分に一旦下りる處に在る何氣無い交叉點でありますが、此處に元からの道、舊道が在るのを古地圖で知りました。 横斷歩道の標識が在る處を左折するのが元來の道筋であります。 因に此畫像は前囘と同日、三月十一日の物であります。 |
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では左に折て入つて行きます。 何と無く道の折方からして、さうだつたのだなと思はせて呉れます。 して、之が六月十六日の寫眞なのでありますが、丸で別の景色の樣であります。 |
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まあ、自動車一臺分の道であります。 丁度谷間と小尾根の境邊を進んでゐる樣であります。 |
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良い景色であります。 因に、進む方向は右に折る方であります。 |
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此處が丁度良く土地を横斷するのに良かつた所なのでせう。 少し見辛いでありますが、途中に用水を渡る橋が架つて居りますのが御分り戴けるでせうか。 其が道路の擴幅も考慮に入れてゐるであらう程、と云つても若干程度でありますが確保されてゐるのでありますが、其が役立つ時が來無い儘に舊道が出來たと云ふ處なのでありますかね。 竣功年度はまあ、考へ無い事に致して居ります。呵呵 して、突當を右に折て、緩い勾配で山を登つて行きます。 |
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良い感じの道であります。 道端に在る、如何にもな古い石佛や石碑が古道と云ふ感じで素敵であります。 |
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緩く囘り込んで現道と合流であります。 | |
合流地點から次の曲線への繋り具合、御分り戴けるでせうか。 因に、現在の此直線部分が出來ましたのは、昭和四二、三年頃の樣であります。 昭和四一年の航空寫眞では未だ確認出來ませんが、四三年の寫眞では出來てゐるのが確認出來ましたので。 まあきつと御料牧場が出來るので、宇都宮驛からの利便性を良くする爲に擴幅、線形改良されたのだらうと推察致します。 |
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【現在地】 前の寫眞から進む事二キロ程、高根澤町に入り進んで來ました。 現道は氣持良く眞直下つて行きますが、左手の掘割が終つた處に左に折る交叉點が現れました。 さう、此處で左折するのが舊道であります。 現在では直角に曲る樣に見えますが、當然、元々は曲線だつた樣であります。 |
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では。 入ると曲線だつた名殘が何と無く分る樣な感じでありますが、元々も結構な折具合だつたと推察致します。 と云ひますか、結構高低差の有る丘だつたのでありますね、此處。 元々は斜面に添ふ樣に下つてゐたと云ふ事でありますね。 【其三】に續く。 |