栃木縣道三四一號線ノ前身ニ當ル道 【其二】

2673年 3月 12日 探訪

 【其一】からの續きであります。

 【現在地】

 扨、さうして此方が寶積寺バイパスの前身に當る道でありまして、今では寶積寺バイパスから分岐する樣に殘つてゐる、僅か十年程度の命だつた舊道部分であります。

 今では鷲ノ谷交差點の信號待ちを我慢出來無い不躾專用の拔道。
 分岐點部分を過ぎますと、元からの舖裝と御對面であります。

 因に道幅は普通に二車線分は有ります。

 尤も、現役時代は中央線(勿論白の破線)が引かれてゐた樣でありますので、當然と云へば當然でせうか。
 何か素敵な感じの曲線であります。

 因に、前を横斷するのは宇都宮陸軍航空廠線から轉用された道であります。
 此處が宇都宮陸軍航空廠線から轉用された道路(通稱電車道)との交叉點であります。
勿論、廢線に成つてから出來たので踏切の痕跡が在る譯でも無く、極普通の交叉點でありますね。

 但し鷲ノ谷交叉點が直ぐ傍に在りますので、わざわざ此方を通るのは普通の人であればしないと思ひます。

 と云ふか此處、"電車"が走つた事は一度も無いのでありますが、通稱が、まあいいや。
 其先は佛具屋さんと拉麺屋さんの通用口專用道と云ふ雰圍氣であります。

 地圖上では現道と接續されてゐ無い樣でありましたが、成程、正に先は荒れてゐる樣であります。
 結構草木が侵蝕して居りますので、結構狹く感じます。

 と云ふか、もう廢道同然の状態でありますね。
 と思ひましたら、其先は其成りの高低差の有る階段に成つてゐました。
成程、之では場所的な要因も有りますし、歩道としても利用價値は先づ有りませんので、廢道同然に成るのも納得であります。

 嗚呼、でも此處は車道として寶積寺バイパスに接續させ無くて正解だつたと思ひます。
だつて、間違ひ無く一瞬すらも信號待出來無い不躾な連中の拔道に成り、不幸な事故が増加するだけに成つてゐたでせうから。
 振返つて見ますと、結構現道は開削してゐるのだなと云ふ印象であります。

以下省略。

 併し此状況で、誰が階段側の道に行くと云ふ事を想定してゐたのでせう。
素直に行止りで良かつたのでは無いかなと思つて仕舞ふのでありますが。


 【其三】に續く。

戻る