栃木縣道三四一號線ノ前身ニ當ル道 【其一】

2673年 3月 12日 探訪

 【現在地】

 現在では國道四號鬼怒川橋の袂から伸びる栃木縣道十號線、所謂寶積寺バイパスが主要な通りと成つて居りますが、嘗ての主流は此方の道でありました。
平成八年に縣道指定に成つた、所謂栃木縣道三四一號線の前身に當る道なのでありますが、今の寶積寺バイパスの位置に作られたのを舊道と呼んで良いのでせうか。
さうして、今から辿る部分が舊々道に當る部分なのでありますが、多分に鐵道や陸羽街道が出來る以前から此處に在つた道だと思ひます。

 現國道四〇八號の矢張り舊道に當る部分が線路脇迄來て、其處から分岐する形なのでありますが、まあ下坂や色々な道との兼合等、 色々と讀取る事が出來る立地條件だなと思へるのでありますが、何だ彼だ云ふ依りも、不取敢進んで行くと致しませう。

 勿論、右手に分岐して行く道がさうであります。
 明治四二年の地圖で主要道として描かれてゐるだけ有り、結構な幅員であります。
流石に昭和四十年代後半頃迄現役だつたのも納得であります。

 唯、現在では程無くして直ぐに路面が荒てゐるのでありますが、斯う云ふ方が雰圍氣有つて拙は好きであります。
 遂に砂利道に成り、其先は道では消失してゐる樣子であります。
 其先、地圖では現道の手前で道が途切れてゐるのでありますが、成程確かにさう云ふ感じであります。

 まあでも降りられる程度なのでせう、多分。

 電柱の邊りに何本か境界標が立つてゐまして、一應縣の土地である事を證明してゐる樣であります。
 朽ち果てた標識柱と思はれる殘骸であります。

 昔は地面から直接生えてゐたのでは無く、土臺が在りましたよね。
懐しいであります。
 扨合流部分であります。

 て、うわあ、現道とは拙の背丈程の高低差が在りますので、流石に飛降りる事は止て措きました。
 振返れば斯う云ふ感じであります。

 砂利道の部分や電柱が往時を物語つてゐる樣であります。


 【其二】に續く。

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