2683年 4月 11日 御負

 鹿沼市上久我。

 【鹿沼市上久我 富澤橋】 右岸側袂に有る祠。
 明治廿一年十二月三日 上久我敷場。
で合つてゐるでせうか。

 併し明治廿一年、皇紀二五四八年、西暦1888年、て、十九世紀でありますよ。
 村内安全。

 當然鹿沼市との合併前、と云ひますか其以前、加園、上久我、下久我、野尻の四村が合併して加蘇村に成るのが明治廿二年でありますから、其直前なので勿論上久我村の、 と云ふ事でありますから、或る意味手荒く貴重な歴史的物件かなと思ひました。
 同上。

 【鹿沼市上久我 法長内橋】 のほゞ左岸袂の石燈籠。
 石裂山常夜燈。

 まさか毎晩點燈させてゐたのでせうか。
 宝暦九己卯、以下不明。

 寶暦九年、皇紀二四一九年、西暦1759年、何と十八世紀の物であります。
其が此だけしつかりとした綺麗な姿で殘つてゐると云ふのが手荒く凄いであります。

 と云ひますか、此處に來る迄の間の栃木縣道二四十號線沿に何箇所の同じ樣に石燈籠が點在して居りましたが、まさか皆同年代だとしましたら凄過ます。
 同上。

 道端に突然現れる鑛山跡。
 加蘇鑛山大通洞。
嗚呼、勿論右書で、でありますが。

 其左側の壁柱には昭和十六年六月竣功と彫られて居ります。
 其反對側、荒井川に架つてゐた何かの橋跡。
 控目乍尖頭型の可愛らしい橋脚の上部の樣子からしますと、多分載つてゐた桁は木製でせうか。
 右岸側に何か遺構とか有りさうでありますが、行く術が御坐いません。
 同上。

 加蘇山神社。
 其手荒く素敵な昭和卅年代感滿載の賣店、若くは賣店跡と云ふ處でせうか。
 鹿沼市草久。

 正確な場所は失念致しましたが、林道前日光線の舊線形部分の廢橋。

 まあ、林道迄は餘手を出さ無い樣にして居りますのでアレでありますが、不取敢見掛ましたので撮りました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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