2683年 4月 11日 探訪
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此方は
【鹿沼市上久我 富澤橋】
依り一キロ半弱程荒井川を上つた所に架る、栃木縣道一七々號線の橋であります。 ぱつと見は今時の橋と云ふ感じでありますが、親柱等を見ますと成程其也の橋だなと納得出來ますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、左岸側から見て行度いと思ひます。 |
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今迄見て來た鹿沼市の橋依りは控目な意匠の親柱でありますが、其でもしつかり特徴的なのが好印象であります。 |
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荒井川。 中々素敵な字體であります。 |
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御矢橋の状態云々依りも、兔角頑丈さうな親柱であります。 |
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法長内橋。 橋名は此邊の地區名からの樣でありますが、之は難讀地名と云つても過言では無いと思ひます。 |
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高欄と地覆は更新されて居ります。 此親柱と合はせる、何んな意匠の高欄が元の姿だつたのか、手荒く気に成ります。 では右岸側へ移動致します。 |
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荒井川。 基本的にモダアンな意匠でありますよね、親柱。 |
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法長内橋。 銘板は兩岸對稱配置でありますから、西暦1960年代と云ふ事でせうか。 因に、讀みは「ハウチヤウウチバシ」でありました。 |
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横から見ました處、うむ、多分此方は牀版橋でせうか。 |
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はい、矢張さうでありましたね。 |
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橋歴板を見ますと、昭和四二年三月竣功でありました。 ぱつと見には分ら無かつたでありますが、何と無くで確認致しまして、斯うして冩す事が出來大滿足でありました。 まあ、當時の面影は親柱飮みと云ふ感じでありましたが。 以上、御附合有難う御坐いました。 |