2680年 3月 17日

 藤原町瀧、 【藤原町大原-瀧 立岩橋】 の直袂に在る水門。
現役なのか廢物件なのかは不明。

 其依も、何處から河川敷に車兩を入れたのかの方が手荒く氣に成ります。
 同所、湯の街公園の直傍と云ふか、 【藤原町藤原-瀧 黒鐵橋】 近くの廢墟跡。
建物はすつかり取壞されて居りますが、流石に混凝土の基礎や石積は其儘の樣であります。

 何か興味深いので少し見てみませう。
 厠の樣な跡。

 或る意味地下一階扱ひで設けてゐたのでせうか。
 階段も中々でありますが、丸で液状化で隆起し度樣な、之は井戸だつたのでせうか。
 藤原町藤原、東武鐵道を挾んで 【藤原町藤原 小原橋】 の反對側、鬼怒川公園近邊に在つた鬼怒川戊辰街道碑。

 如何やら小原澤を卷く樣に進んだのが元の街道筋の樣であります。
 藤原町高徳、東武鐵道鬼怒川線の舊線跡方向。

 眞正面の木の邊、現在の國道近くを通つてゐた樣であります。
 同所、其二百米程北側。

 國道が出來る迄は鐵道傍迄山だつたと云ふ擁壁が見えました。

 道路傍の混凝土は此方が國道だつた時の名殘でせうか。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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