2675年 10月 20日 探訪
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此方は
【中橋】
から三百米程上つた處に架る橋であります。 一見して 【矢板市幸岡-長井 剱橋】 の樣な意匠でありますから、多分に同年代の橋かと思はれますが、如何でせうか。 では此方、左岸側から見て行きます。 |
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木戸崎橋。 此方の銘板は鑄鐵製でせうか。 其と、名前の由來が近くの地名に無いので、如何云ふ意味での命名なのか不明であります。 |
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内川。 はい、矢張親柱内側に工事銘板が有る年代の物件でありますね。 |
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昭和四一年三月竣功でありますね。 道理で剱橋と同樣の意匠な譯でありますよ。 唯、彼方は矢板市の建造でありますが、此方は栃木縣の建造でありますね。 |
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高欄は混凝土板を二つ使用し、且つ傾斜を附た意匠であります。 して、桁毎に分割されてはゐ無い型であります。 此方手前側が鐵管で補修されてゐるのは御愛嬌でありますね。 |
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横から見ますと、此はスラブ形式、牀版橋と云ふ物でありますかね。 では、右岸側へ移動致します。 |
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して、少し下りられさうな處で下から見てみましたが、矢張さうでありました。 斯うして下から見ますと排水桝が在る樣に見えますが、上からでありますと全て土で埋つてゐて分りませんでした。 |
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木戸崎橋。 流儀通り左右兩岸で對稱の銘板でありますね。 |
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内川。 此は發注者直筆を基にした銘板では無く、定型的な自體でありますね。 中橋依りも上流側にも關はらず、何故に二徑間なのかなと思ひましたら、此方は混凝土橋でありました。 若かしますと、昭和四一、二年頃が丁度混凝土と鋼材の切替時期だつたと云ふ事なのかも知れませんね。 まあ、何れにしましても、耐用年數滿了して欲しいと思へる物件でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |