小山市中里-押切 押切新田橋

2682年 3月 15日 探訪

 此方は、巴波川と永野川の合流地點から五百米程北側、巴波川の橋で云ひますと、 【小山市寒川-藤岡町緑川 緑川橋】 依り一キロ六百米程上つた邊、杣井木川(ソマイキガハ)に架る橋であります。

 扠、ぱつと見に 【二宮町物井 名稱不明橋】 に似た雰圍氣でありますので、如何にもと云ふ年代の橋かと思はれますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で、此方左岸川から見て行き度いと思ひます。
 押切新田橋。

 平成廿五年の某ストリイトビウの冩眞では斯樣な銘板は附て居りませんので、可也後年に成つてから附られた樣であります。

 まさか、橋名も其時初て附られた譯では無いでせうね。
 杣井木川。

 之、「ソマイキガハ」つて普通初見では讀めませんよ。

 と云ひますか、何か縣南つて難讀地名が多いであります。
 高欄は中程に混凝土板を使用しました意匠であります。

 其脆さも 【二宮町物井 名稱不明橋】 と似てゐる樣であります。

 では右岸川へ移動致します。
 押切新田橋。

 如何やら兩岸對稱配置の樣でありますが、其は現在の流儀でなのでせうか。

 其共、竣功當時の配置に倣つてさうしたのでありますかね。
 杣井木川。

 河川名の由來は一寸分りませんでした。
 横から見ました處、此方は混凝土牀版橋でありました。

 因に竣功年でありますが、航空冩眞を見ても正確な年代判定が難しかつたのでありますが、昭和四九年迄には完成してゐるのが見えますので、 多分二宮町の橋同樣、昭和四五年前後頃迄の橋なのでは無いでせうか。

 まあ、多分さう云ふ年代の物だと思ひますので、見られて滿足でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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