小山市南小林-大平町榎本 鍋田橋

2683年 1月 10日 探訪

 此方は 【小山市南小林-大平町榎本 名稱不明橋】 依り一六〇米程杣井木川(ソマイキガハ)を上つた所に架る、國道五十號の前身に當る道の橋であります。

 歴史的な道筋の橋だけ有り可也年代的な物件の樣に見えますが、其實如何でせうか。

 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。
 親柱の意匠的には其程凝つた物では無く、極普通の柱であります。

 銘板の文字が擦て「竣功」以外讀辛く成つて居ります。

 と云ひますか、右岸側の護岸が石造で手荒く立派に見えますが、矢張當時物でせうか。
 昭和九年一月竣功。

 いやあ、最初は何と無く 【小山市卒島-今里 中道橋】 にも似てゐる事から、戰後、昭和廿年代か卅年頃の竣功だらうなと思つてゐたのでありますが、まさかの戰前物件でありました。
 嗚呼、笠石部分も本來はちやんと在つたのでありますね。

 と云ひますか、此方も「橋」以外讀辛く成つてゐるのでありますが、何かの意圖が有つてさうされてゐるのでせうか。

 まさか、 【小山市南小林-大平町榎本 境橋】 側の新道が開通した爲の措置だつたのでせうか。
 鍋田橋。

 いやあ、之が判讀するのが手荒く大變でありました。

 最初は「鍋川」かなと思つたのでありますが、二文字目が如何見ても「川」の筆跡では無いと。
次に畫像編集ソフト(Gimp)にて明るさや陰影を強調して、「鍋山」かな共思つたのでありますが何か違ふ樣な氣が致しましたので、 先入觀を捨る爲數日後改て陰影等を強調して見ました處、多分之は「鍋田」だなと思ひ檢索して見た結果、さう讀まれて居られる方を發見致しまして、 間違無いと判斷した次第であります。
 高欄は蒲鉾型の穴が開いた意匠であります。
 地覆に排水桝が御坐いました。

 では右岸側へ移動致します。
 此方にも笠石部分は殘つて居りますね。

 併し嗚呼、此方は銘板が破壞されて居りました。
 杣井木川。

 是は間違無くさうでありますね。

 併し、何故に判讀し辛い状態にするのでせう、勿體無いと思ふのでありますが。

 さう云へば、混凝土表面は洗出仕上でありますね。
 下流側の笠石部分は補修し無いのでありますね。

 或る意味、此方が一番判讀不能に近い状態かも知れません。

 して、矢張左岸側の護岸が立派であります。
多分何か堰の樣な状態に成るのでせうか。
 なべたはし。

 うむ、多分不濁に讀むのだと思ひます。
不取敢畫像編集ソフトで見て、濁點の形跡は無い樣に感じましたから。
 横から見ました處、如何にも戰前らしい混凝土T字桁でありました。

 併し、折角の美しい橋でありますのに高欄の裏側の痛みが激しいであります。
 では、と思ひ下流側も見てみましたが、矢張結構な痛み具合でありました。
まあ、もう直一世紀に成りますから致方無しと云ふ處なのでせうか。

 其でもまあ、戰前橋が見られて手荒く滿足でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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