2680年 10月 27日 探訪
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此方は
【宇都宮市川田町 川田橋】
依り田川を下る事約五キロ半程、
【宇都宮市東谷町-下横田町 江川橋】
から栃木縣道一九三號線を西進する事約五百米の、田川に架る橋であります。 一見して可也年代物だなと云ふ感じで心踊りますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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田川。 横に廣い一枚の混凝土板と云ふ感じの親柱に、如何にも昭和卅、四十年代を彷彿とさせる横書の銘板が附て居ります。 |
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此方上流側は歩道部分の増設に伴ひ親柱は撤去されてゐる樣であります。 せめて歩道側に銘板だけでも殘して措いて呉れゝばと思ひつゝも、増設は昭和卅六年の事でありますから、まあ、其當時では無理でありますね。 其歩道側でありますが、現状斯樣な、平成末若くは令和元年以降斯樣に改修されて居りますので、まあ、アレであります。 因に、元の姿は 【すとりいとびう】 にて確認出來ます。 唯まあ、橋名が分ら無いのでありますが大丈夫であります。 |
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此方の袂に竣工記念碑が建つて居りますので、孫八橋だと分りました。 まあ栃木縣の橋梁點檢結果では昭和卅四年には完成と記されて居りますので、此方の昭和卅五年十二月と云ふのは石碑を建立した時の事でせうか。 と云ひますか、其直後に歩道部分附足すのかと一寸、色々とアレでありますね。呵呵 |
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高欄は混凝土柱を二本使用しました意匠であります。 但し、近くに高等學校や小學校が在るからでせうか、結構高目に作られて居ります。 |
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排水桝。 では右岸側へ移動致します。 |
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早々に親柱は撤去されて居りますので、丸で元から斯樣な状態だつた樣な姿であります。 |
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昭和三十五年十二月 竣功。 おや、矢張昭和卅五年竣功の樣でありますね。 正解は一體何方なのかと問はれた場合、まあ先づ橋に記されてゐる方を信じて良い、のでせうね。 |
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近接して撮つて見ました。 |
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横から見ました處、五徑間の混凝土、之はT字桁でせうね、でありました。 擴幅部分が如實に分る橋脚が 【芳賀町上延生-祖母井 五行橋】 以上に鮮明で中々に素敵であります。 併しまあ、大膽に改修された田川、其處に新設された道と共に架設された橋がほゞ當時の儘に殘つて居り、其が見られたと云ふ事に手荒く滿足致しました。 因に、此方の元の道筋は一本上に架つてゐる田町與橋の方であります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |