宇都宮市南町、高砂町-さつき二丁目、雀宮 名稱不明橋

2680年 12月 21日 探訪

 此方は 【宇都宮市瀧谷町 權現橋】 依り新川を下る事七キロ強程の處、雀宮中學校の傍に架る橋であります。

 ぱつと見 【上三川町上三川 名稱不明橋 【一】】 にも通ずる年代不明的な雰圍氣でありますが、其實如何でせうか。

 因に此方、橋が道路と河川で四地域に分れて居りまして、路線的には南町、高砂町方面から西進するのが起點、終點の關係なのでありますが、 今囘冩眞撮影的な都合で此方、さつき二丁目、雀宮側から見て行かうと思ひます。

 と云ふ事で、此方右岸さつき二丁目、雀宮側から見て行きます。
 親柱も銘板も無く、混凝土製高欄のみの意匠であります。

 して、此方が雀宮側であります。
 さつき二丁目側。
 高欄は中々にポツプな意匠と云ひますか、如何にも高度經濟成長期を感じさせて呉れる感じであります。

 では左岸側へ移動致します。
 南町側。
 高砂町側。
 横から見ました處、混凝土T字桁、之はRCTでありますね、でありました。
石積の翼壁が昭和四五年以前であらう事を推察させて呉れます。

 扠、竣功年でありますが、航空冩眞を頼りに致しますと昭和卅九年には其姿を確認出來ますので、昭和卅六年以降卅九年迄で間違無いと思はれます。

 唯、宇都宮市の點檢結果では昭和四八年に成つてゐるのでありますが、雀宮中學校が現在の位置に移つたのが昭和卅九年でありますので、其迄には完成してゐたと見て間違無いと思ひますので、 多分昭和卅八、九年には完成してゐたと拙は見ますが如何でせうか。

 まあ、高度經濟成長期の新興住宅街且つ中學校の近くと云ふ事で斯樣に素敵な意匠の高欄に成つたのでは無いかと思ふのでありますが、中々に素敵な橋が見られて滿足でありました。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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